2012年10月06日

群馬 富岡 富岡製糸場

角間・霧積温泉の旅」(2012.10.6)で2回目の訪問。前回 3年前の「群馬長野の共同湯巡り」(2009.6.25)で訪問した時は、世界遺産の国内暫定リスト(推薦待ち候補)だったが、今年、平成24年(2012)7月に、文化庁が世界遺産へ推薦することを決定したのを期に再訪問した。
【富岡製糸場】富岡製糸場は、群馬県富岡市にある日本初の官営製糸工場。明治時代初期、製糸場設立時に造られた木骨レンガ造の建物がほとんどそのまま残っており、貴重な歴史的建造物として保存さている。2012年に世界遺産への推薦が決定された。
【駐車場マップ】製糸場周辺には、宮本町(P1)、上町(P2)、仲町(P3)の3ヵ所の有料市営駐車場があり、仲町(P3)は観光バス専用なので、普通車が駐車できるのは宮本町(P1)と上町(P2)の2ヵ所。前回は宮本町に駐車したので、今回は上町に駐車した。
【場内案内図】メインの建物は、東西に向き合う一対の全長104mの繭倉庫とそれをつなぐ全長140mの繰糸場からなる。
【東繭倉庫】正門を入るとまず目に付くのが東繭倉庫と花壇のサルビア。風通しをよくするため繭倉庫には窓が沢山付けられている。
【キーストーン】入口のアーチ中央には「明治五年」と書かれた建築年を刻んだキーストーン(要石)が刻み込まれている。レンガの積み方はフランス積み(長手方向と小口を交互に積む方式)。
【東繭倉庫内部】東繭倉庫は一部が売店やビデオコーナーになっていて、中に入ることができる。場内には群馬県内の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の10の史跡の紹介もされている。
【繰糸場入口】全長140m、幅12m、高さ12mの、木の骨組みにレンガを積む「木骨レンガ造」。建物に使用されていたガラスや鉄製の窓枠などは、当時の日本では一般的ではなく、主にフランスから輸入されたそうだ。
【繰糸場(北面)】繰糸場の建物の特徴の一つが、屋根の上にある小さな屋根「越屋根」。当時は繰糸場内で繭を煮ていたため、蒸気抜きの越屋根がついている。また、日本には電灯がなく採光のため、窓は大きくとり、数も多いのもこの繰糸場の特徴。
【繰糸場内部(手前側)】大屋根を支えた木造トラス構造(三角形を基本にして組んだ構造)は、従来の日本にはない造り方。
【繰糸場内部(奥側)】フランス製の自動繰糸器300台が設置され、明治5年から昭和62年まで115年間生糸を生産した。
【自動繰糸機】昭和40年〜55年の間に設置された日産製の自動繰糸機が、昭和62(1987)年3月の操業停止時の状態で保存されている。
【緒糸巻取機】繭から糸口を出す過程で出た繭糸くず「緒糸」を巻き取る機械など、繭から糸を取り出す機械や装置類が並ぶ。
【検査人館】女工館左隣にある、生糸の品質検査や器械整備を担当したフランス人男性技術者の宿舎として、明治6年に建設された。
【女工館】操糸場前の女工館。製糸場に勤める日本人の工女に糸繰りの技術を教えたフランス人女性教師の住居。
【女工館前からブリューナ館をみる】一番南の良い場所に建つ、320坪の木骨レンガ造り平屋建てのブリューナ館を望む。唯一、レンガ造りの地下室は当時のまま。食料品の貯蔵庫として使用されていたと考えられている。
【ブリューナ館】高床で廻廊風のベランダを持つこの建物は、指導者ブリューナ一家とそのメイドが住んでいた。ブリューナ一帰国後は工女のための夜学校として使用され、工女たちが裁縫や行儀見習いを学んだ。
【東繭倉庫の中央通路】東繭倉庫のキーストーンのある中央通路をくぐり抜けると、乾燥場がある広場にでる。
【乾燥場前から東繭倉庫をみる】乾燥場の建物は大正11(1922)年に建てられ、中には操業停止まで使われていた乾燥機が残されている。
【乾燥場】2階にある乾燥機上部に繭を入れると上から下へゆっくりと運ばれながら乾燥され、1階部分に繭が出てくる仕組み。
【広場から煙突をみる】さらに奥に進むと広い空間が現れる。青空に映える鉄筋コンクリート製煙突が美しい。
【煙突】当初の煙突は高さ36mの鉄製煙突だったが、現在の煙突は昭和14年に建造された鉄筋コンクリート製。煙突右側の建物は副蚕場。
【西繭倉庫】東繭倉庫と対の西繭倉庫。東繭倉庫と同じ大きさの建物で、西繭倉庫の中央通路から渡り廊下で副蚕場と繋がっている。


(1回目の訪問 2009.6.25)
【正門】富岡製糸場は、群馬県富岡市にある日本初の官営製糸工場。明治時代初期、製糸場設立時に造られた木骨レンガ造の建物がほとんどそのまま残っており、貴重な歴史的建造物として保存さている。2007年には世界遺産暫定リストへ記載された。
【東繭倉庫】正門を入りまず目に付くのが東繭倉庫。メインの建物は、東西に向き合う一対の全長104mの繭倉庫とそれをつなぐ全長140mの繰糸場からなる。入口のアーチ中央には「明治五年」と書かれたキーストーン(要石)が刻み込まれている。
【繰糸場】全長140m、幅12m、高さ12mの、木の骨組みにレンガを積む「木骨レンガ造」でトラス構造(三角形を基本にして組んだ構造)という従来の日本にはない造り方の建物。
【繰糸場内部】フランス製の自動繰糸器300台が設置され、明治5年から昭和62年まで115年間生糸を生産した。往時をしのばせる繰糸機や道具。
【ブリューナ館(1号館)】320坪の木骨レンガ造り平屋建ての住宅。高床で廻廊風のベランダを持つこの建物は、指導者ブリューナ一家とそのメイドが住んでいた。
【女工館(2号館)】操糸場前の女工館。製糸場に勤める日本人の工女に糸繰りの技術を教えたフランス人女性教師の住居。
【検査人館(3号館)】女工館左隣にある、指導に当たったフランス人検査人が住んだ宿舎。
【東繭倉庫内部】東繭倉庫は一部が売店やビデオコーナーになっていて、中に入ることができる。場内には群馬県内の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の10の史跡の紹介もされている。
【乾燥場】東繭倉庫のキーストーンがあるアーチをくぐり売店を抜けると、左手に乾燥場がある。
【西繭倉庫】さらに歩くと広い空間が現れ、広大な敷地の向こうに東繭倉庫と対の西繭倉庫が見える。東繭倉庫と同じ大きさの建物だ。
posted by 日本の秘湯 at 13:11 | 口コミ情報(0) | 小旅行関東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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