2009年11月16日

熊本 熊本 熊本城本丸御殿

【案内図】加藤清正によって創建され、行政の場、歴代の肥後藩主の生活空間として使われてきた本丸御殿は、明治10年(1877)の西南戦争で焼失したが、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大御台所が復元され平成20年4月から一般公開された。入ってすぐの御膳立之間は展示室になっている。
【大御台所】玄関がないので入るとすぐ御膳立之間や大御台所になる。本来は御殿の入口は地下の闇り通路より上って式台之間に出るのがルート。そして式台之間から鶴之間に入り、梅之間、桜之間、桐之間、若松之間、昭君之間と続く。大御台所には2つの大きな長い囲炉裏が並ぶ。
【大御台所天井】上を見ると直径3尺の巨木の丸太梁が渡してあり巨大な小屋組みを見ることが出来る。火をおこす部屋なので吹き抜けの上部は煙抜きになっている。
【大御台所土間】土間にはかまどなどの調理場が置かれている。大台所は2階建になっていて予約すれば2階で本丸御膳という江戸時代の献立を再現した料理が食べられる。
【本丸御殿玄関】本丸御殿玄関は闇り通路内に設けられていた。この床板張りの廊下と階段は玄関の一部で、階段を上がると地下と1階の間に廊下と14畳の玄関があり、さらに階段を上がると1階大広間の式台之間と鶴之間に通じていた。
【鶴之間】闇り通路からあがる階段の上部を示す木の枠がある。なぜかパソコンが置いてある。
【大広間】鶴之間から見た大広間。儀式・行事などを行うときの対面所として使われていた。若松之間に藩主が、大広間に家臣が座った。梅之間、桜之間、桐之間の順に格式が高くなりそれに連れて天井の造りも豪華になっていく。
【縁側】大広間の南側に配置された縁側は石庭に面し、広縁、落ち縁、濡れ縁の3段で構成され幅は約6mある。すべて檜板を使用し玄関口にあたる60畳の鶴之間、35畳の梅之間、28畳の櫻之間、24畳の桐之間、若松之間が連なる各部屋を繋ぐ。
【若松之間】若松之間(手前)と昭君之間(奥)。若松の間は、桐の間、桜の間とは違い、床・違い棚・付書院が備えられて格式の高さを示している。
【若松之間】若松之間から昭君之間、桐之間方向を見た所。藩内の支城城主との対面はこの2部屋が使われた。昭君之間上段に藩主、上段脇に藩主の世継ぎ、若松之間に支城城主が座した。
【昭君之間】床・違い棚・付書院を備え、障壁画は匈奴に嫁がされた中国の悲劇の美女、王昭君の物語が描かれている。部屋が上段と下段に別れた鉤上段になっている。
【昭君之間の天井】本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋で藩主の居間であり、対面所としても使用された。桃山時代の武家風の書院造の代表的な建築で絢爛豪華。
【数寄屋(茶室)】昭君の間から奥には数奇屋と猿牽の間がある。数奇屋には茶室があるが非公開なので廊下から眺めるだけ。
【団扇之間】昭君之間の後ろには蘇鉄之間、団扇之間が並ぶ。団扇之間は闇り通路の真上にあり地下から登る階段がある。
【団扇之間からみた廊下】桜之間と梅之間の後ろにある家老之間と雪之間を繋ぐ廊下。
【家老之間】家老之間には杉戸絵が飾られていて、襖絵、杉戸絵の説明もある。
posted by 日本の秘湯 at 15:50 | 口コミ情報(0) | 小旅行九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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