2009年11月17日

熊本 天草 富岡城跡

【富岡城跡】富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島である富岡半島の海抜60mの回りは崖の丘陵上にある平山城。城の南には堀の役割を果たした袋池が、東部には沿岸流によって砂礫が細長く堆積して提状をなす砂嘴に囲まれた巴湾が天然の土塁となって海からの外敵を防ぎ、陸からの攻撃は砂州のみしかない難攻不落の城だ。
【案内図】富岡城は慶長6年(1601)に天草の領主となった肥前唐津藩の寺沢広高によって築かれ、寛永14年(1637)の天草の乱では唐津軍1500人が籠城、天草四郎時貞が率いるキリシタン一揆勢12000人が再三にわたって攻めたてたが落城しなかった。一揆軍はこの後苓北から海を渡り、島原・原城へ向かい島原の乱へとつながった。
【本丸高麗門】平成7年から富岡城跡の発掘・復元が始まり、平成17年に石垣や本丸の櫓が復元された。
【本丸多聞櫓】絵図と発掘調査に基づいて再建されたもので富岡ビジターセンターとなっている。
【二の丸より本丸に登る石段】本丸までの石段は有田焼や瀬戸物などの陶器の原料として使われている天草陶石で作られている。
【二の丸跡広場】二の丸西側の石垣からはすすや油の付着した石垣が発見され、天草の乱の痕跡と考えられている。
【二の丸より本丸を望む】広場には、天草の再興に尽力した天草初代代官鈴木重成、その補佐をした実兄・正三和尚(右)や、天草にゆかりのある勝海舟、江戸の儒学者頼山陽の像(左)が建立されている。
【二の丸石垣跡】石垣は富岡城建設当時と天草の乱の後、その後と三層構造になっている。石垣の石組みは史跡調査に基づいた位置情報を元に一つ一つ忠実に再現されているそうだ。
【本丸より巴湾と砂嘴を望む】巴湾を形成する砂嘴の向こうには野生イルカが群れる通詞島、さらに向こうに天草灘、島原半島を望め素晴しい景観だ。
【二の丸より砂州を望む】富岡市街へと続く砂州と富岡湾や眼下には百間土手によって仕切られた袋池を見下ろすことが出来る。
【富岡ビジターセンター】本丸の櫓は展示施設富岡ビジターセンターとなり、天草の歴史・文化・自然などが紹介されている。中庭からは周辺のさまざまな景色を堪能できる。
【天草の自然】立体映像館(3Dシアター)では天草西海岸のテーブルサンゴをはじめとする多種多様な海中世界を立体映像(飛び出してきます)で擬似散歩できる(無料)。
【天草の歴史】富岡城の歴史や天草の歴史を解説したパネル。
【天草の文化】キリシタン文化や天草の文化を解説したパネル。
posted by 日本の秘湯 at 12:46 | 口コミ情報(0) | 小旅行九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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