2009年11月17日

長崎 島原 雲仙岳災害記念館

【雲仙岳災害記念館】がまだす(島原の方言でがんばるの意)ドームの愛称をもつ全国初の火山体験学習施設。平成2年(1990)11月、約200年ぶりに噴火が始まった雲仙普賢岳の噴火活動から平成8年(1996)5月の噴火活動終息宣言まで何が起き何が残ったのか、大自然の脅威と被災体験を次世代に伝える展示館。
【ロビー】雲仙岳災害記念館は,火山を見る・体験する・学ぶ・遊ぶ・憩うがテーマで、有料展示ゾーンと無料のメディアライブラリーゾーンとで構成されている。有料ゾーンは雲仙噴火の歴史、噴火と予知、予知から防災へ、火山と共生など8つの展示コーナに分類されている。
【エントランス広場】敷地の周囲には溶岩と水によるモニュメントや芝生・花が植えられ、有明海から吹く穏やかな風を感じる広場となっている。
【溶岩の庭】室内展示室から2階展望台へ行く途中にあり、本物の溶岩を配しその周りには半屋外のスロープが設けられている。
【展望台より普賢岳を望む】火砕流の通った道筋に建物が建てられているので、晴れていれば雲仙岳山頂から火砕流がどのように流れてきたかが実際に目で確認することができる。
【展望台より有明海を望む】建物裏手には有明海を望むデッキエリアになっている。晴れていれば対岸には有明海越しに熊本阿蘇山を望むことができる。
【有料ゾーン案内図】平成大噴火シアター、島原大変シアター、火砕流の道などハイテク技術を駆使した体験コーナーや災害に負けず復興に頑張る地元の人々の姿も紹介されている。
【雲仙普賢岳模型】雲仙普賢岳噴火による災害と自然の驚異を肌で感じられるような工夫が各所になされ、火山について体験しつつ学ぶことができる。
【火砕流パネル】噴火の体験以外に、火山のしくみや、防災についても知ることができ、噴火災害、土砂災害に立ち向かった人々の英和を写真による大パノラマとして展示している。
【火砕流の道】火砕流によってなぎ倒された木々を長さ40mに渡って再現。時速100kmで走るといわれる火砕流の速さを走り去る光で体感できる。左がスタート前、右が火砕流が流れた後。あっという間に真っ赤になる。
【平成大噴火シアター】直径14メートルのドーム型スクリーンに、襲ってくる火砕流や土石流を大迫力の映像と音響に合わせて動く床や熱風の吹き出す仕掛けが施され、疑似体験を通し火山災害を感じることができる(上映時間約7分)。
【島原大変シアター】江戸時代に噴火によって眉山が大規模に崩壊し大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた「島原大変」と有明海に達した土砂の衝撃によって発生した高波が島原の対岸の肥後国天草に襲いかかった「肥後迷惑」を昔話風に表現。(上映時間約13分)。
【雲仙大火砕流378秒の遺言】平成3年(1991)6月3日午後4時8分の大火砕流の犠牲となった日本テレビ取材班のTVカメラ。2005年6月に14年振りに北上木場の高台付近で発見された。カメラは火砕流の熱で焼けていたが、復元されたテープには大火砕流直前の記者らの姿や音声が記録されていてNNNドキュメント'05で放映された。
【焼き尽くされた風景の再現】大火砕流は報道関係、消防関係、民間人など43人もの命を奪い、数多くの家屋が焼失あるいは土石流に埋もれた大惨事。当日の午後3時からNHK取材班がこのTVカメラで取材をしていたそうだ。焼け焦げた電柱や電話ボックス、看板などの実物展示が火砕流の恐ろしさを物語っている。
【焼き尽くされた風景の再現】大火砕流を最後まで見つめていたTVカメラの三脚と望遠レンズ。報道関係者が火砕流の撮影ポイントとしていた北上木場町の高台付近で14年振りに発見された。
【ジープの疑似走行体験】災害活動に実際に使用されてた自衛隊のジープでの疑似走行シミュレーションを体験できる。
posted by 日本の秘湯 at 16:24 | 口コミ情報(0) | 小旅行九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この温泉の口コミ情報
口コミ情報を書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

口コミ情報: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

ピックアップ
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。