2009年11月19日

佐賀 吉野ヶ里 吉野ヶ里歴史公園

【歴史公園センター】弥生時代の大規模な環濠集落跡、吉野ヶ里歴史公園の入口。復元されているのは、環濠、竪穴住居、高床住居、物見櫓、柵、逆茂木、高床式倉庫、墳丘墓などである。出土品の多くは公園内にいくつかある施設内に保管され展示が行われている。その他、多目的ホール、シアタールーム、レストラン、売店などが整備されている。
【環濠集落ゾーンマップ】環濠集落ゾーンには、支配者層が住んでいた南内郭や吉野ヶ里遺跡から発見された貴重な出土品を展示する「展示室」「倉と市」、吉野ヶ里遺跡でもっとも重要で神聖な場所「北内郭」、祭祀や政治的儀礼に使用する道具などが作られていた「中のムラ」など、多くの復元建物があり弥生時代の風景に触れることができる。
【逆茂木】歴史公園センターから天の浮橋を渡り環壕入口に入ると、まず逆茂木(さかもぎ)が目に入る。先を尖らせた杭や、鋭い枝の付いた木を斜めにたくさん立てて、敵の侵入を防ぐバリケードの役割をはたしていた。
【櫓門】南内郭の南には「南の守り」と呼ばれる環壕や土塁、柵があり、そこにある2箇所の出入口のうちの一方には大きな櫓がある。この櫓門の上には兵士が立ち下の門を通る人々を見張っていたという。櫓門からは環濠集落全体を見渡せる。両脇に見えるのは南内郭の物見櫓。
【櫓門より支配者層の家を望む】南内郭には中央の広場を取り囲むようにたくさんの竪穴住居が建てられている。
【櫓門より北内郭を望む】左にに主祭殿、中央に高床住居、その右に物見櫓がそびえているのが見える。
【南内郭マップ】南内郭は支配者層が暮らしながら国の政治を執り行った場所。要所に物見櫓があり、広場を中心に王や支配者層の竪穴住居や煮炊屋、集会の館がある。
【物見櫓】南内郭には4棟の大きな高床建物がある。これらは環壕の張り出した部分に対応するように建てられており、兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていた。
【集会の館・物見櫓を望む】支配者層の家付近から見た南内郭内部。広場の先左に集会の館、右に物見櫓がある。
【王の家】南内郭の北端には王が住んでいた、城柵で囲まれた竪穴住居があり、その脇には王の使用人たちが給仕のために煮炊きをした小屋も復元されている。
【王の家の城柵と壕】王の家の周りには城柵と壕がめぐらされ防御も厳重になっている。
【王の家内部】王と家族が暮らしていた家。王の力を示す品々が枕元に置かれている。
【支配者層の家】周囲を環壕と城柵で囲まれた広場内に点在するこれらの竪穴住居は様々な役割を担う支配者層の住まいと考えられている。
【支配者層の家内部】復元された住居跡には、炉跡やここで寝ていたとも考えられるベッド状遺構などがある。
【集会の館】王の住まいの向かいにある吹き抜けの大きな建物は集会の館。ここでは、南内郭に住む王をはじめ、支配者層が集まり、様々な協議や会合がおこなわれていた。
【煮炊屋】吉野ヶ里遺跡では竪穴住居内の炉から煮炊きをした痕跡が見つかっていません。南内郭では、竪穴住居の脇に小型の掘立柱建物が数棟見つかっており、これが共同で煮炊きを行うための建物であったと考えられている。
【物見櫓展望台】広場西側にある物見櫓には階段があり、最上階まで登れるようになっている。
【物見櫓最上階】最上階は展望台になっていて南内郭を見下ろせる。
【物見櫓より南内郭をみる】広場の周りを支配者層の竪穴住居が囲み、その先には集会の館、さらに遠くに北内郭が見える。
【物見櫓より倉と市を望む】反対側には海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった倉と市が見える
【北内郭マップ】吉野ヶ里の祭りごとを司る最重要区域。田植えや稲刈りの日取り、戦いや狩りの祈りなど重要な事項は全てここで決定された。
【北内郭】南内郭物見櫓からみた北内郭主祭殿。当時北内郭は指導者達だけが出入りできた神聖かつ特別な場所であった。
【二重環壕】最も重要な区域であることを示すように環壕も2重に設けられ、厳しく守っていたことが覗える。また中をのぞくことができないよう、隙間のない板壁で覆われている。
【鍵形に折れ曲がった入口】真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造の造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示している。
【入口から内部を望む】北内郭は主祭殿、東祭殿、斎堂、高床住居などの建物が立ち並ぶ、環濠集落で最も重要な区域である。
【主祭殿】吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物。
【主祭殿2階】吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラムラの長が集まっている。
【主祭殿3階】祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っている。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられる。
【斎堂】東祭殿と主祭殿の間にある高床の建物。主祭殿の祀りの前に身を清めたり、祀りの道具を保管する場所として使われていた。
【高床住居】主祭殿の近くに位置し特殊な形をした閉鎖的な空間の高床の建物から、当時人前に姿を見せない神聖な人である最高司祭者の住まいと考えられている。
【高床倉庫群】床を高くすることで風通しをよくした倉庫。北内郭に接する場所に建てられている。北内郭や北墳丘墓での祀りに使われる道具や宝物などの貴重な品々が収められていたと考えられている。
【北墳丘墓マップ】北墳丘墓は歴代の王の墓であり、西には壕を渡って走る墓道、南には祖霊の宿る立柱と、歴代の王の祖霊へお供えやお祈りを捧げる祀堂がある。
【北墳丘墓】歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられている。この墓は、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっている。中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもあった。
【祀堂】墳丘墓に眠る祖先の霊に、毎日お供え物を捧げ、お祈りをするための施設と考えられている。墳丘墓の北側には大型の素焼きの土器に死者を入れ土の中に埋めた甕棺墓列があり、2000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられている。
【北墳丘墓・立柱・墓道】北墳丘墓の正面にある長い柱を立柱と呼んでいる。祖先の霊が宿る柱と考えられており、シンボル的な役割を果たしていた。左には墳丘墓に眠る祖先の霊にお参りするために環壕の外からやってくる人々のために設けられた専用の道、墓道がみえる。
【電気自動車】園内の移動に利用できる、園内4箇所の停留所を回る無料の周遊バス「電気自動車」が運行されている。定員11名で身体の不自由な方、高齢者の方が優先される。停留所以外の途中乗下車はできない。開園から閉園時間まで30分間隔で運行されている。
【運行ルート】帰りは、北墳丘墓入口発着所から環濠入口発着所まで環濠集落ゾーンの外周を走る電気自動車を利用する。途中、倉と市入口と西口駐車場に近い南のムラ入口の2ヵ所の停留所に止まる。
【倉と市】当時の交易の重要な交通手段の舟が利用できる大きな川がすぐ近くを流れていたこと、この地域全体が大きな壕で厳重に囲まれていることなどから吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられている。
【南のムラ】北内郭や南内郭と違いこの区域を囲むような壕などの特別な施設がない、北が上位で南が下位という古代中国の考え方から南のムラは弥生時代の吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられている。
【天の浮橋】終点の環濠入口発着所で電気自動車を降り、歴史公園センターに向かうと天の浮橋が迎えてくれる。約1時間の見学だったが閉園までの20分をセンター内の展示室、シアタールームで過ごす。
【券売所】入場料大人400円。後ろの売店では公園のマスコットキャラクターグッズや佐賀の特産や名産などを販売している。
【レストラン】吉野ヶ里歴史公園ならではの地元の食材や有機野菜などを使った料理を食せる。ご飯には古代米とも言われる赤米が入っている。
【弥生のクニ】遺跡の発見、出土品などをパネル等で説明する展示室。写真や図を豊富に使った分かりやすい展示だ。
【出土品】センターロビーに展示している土器。吉野ヶ里遺跡ではたくさんの出土品が展示室に年代ごとに展示してある。
【有柄銅剣】有柄銅剣やガラス製管玉等の出土品は国の重要文化財に指定されるなど、高い学術的価値を有する。
【シアタールーム】吉野ヶ里遺跡について約12分の上映が随時行われている。見学に入る前にはぜひ見ておくといい。
posted by 日本の秘湯 at 15:39 | 口コミ情報(0) | 小旅行九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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