2009年11月20日

福岡 太宰府 太宰府天満宮

【境内案内図】太宰府天満宮は学問の神として知られる菅原道真を祭神として祀る天満宮。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社。
【鳥居】参道商店街を抜け、突当たりを左に曲がるとある石の鳥居は南北朝時代の建立で九州最古の鳥居だ。鳥居をくぐると朱塗りの欄干が目に入る。
【御神牛】境内には神牛の置物がいくつかあり、これは宮司家前にある御神牛。「遺骸を牛車に載せて牛の赴くところにとどめよ」と遺言し停まった所が本殿の地。これが太宰府天満宮の起源という。
【心宇池】漢字の心を形どった池。広い境内は四季を通して梅・樟・花菖蒲などが楽しめ、正月のうそ替え・鬼すべ、春の曲水の宴、秋の神幸式など伝統行事も多い。
【御神橋】心字池に架かる御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、過去・現在・未来の三世一念という仏教思想を残している。
【参道】御神橋を渡り参道を歩くと石燈籠と鳥居が見えてくる。さらに進むと正面に楼門、右手に手水舎がある。
【楼門】堂々たる風格の重層の入母屋造り檜皮葺きの二重門。慶長年間に石田三成が再興したが、明治時代に火災で焼失し現在のものは1914年(大正3)に再建された。
【手水舎】緑色の銅板葺きの屋根に朱塗りの手水舎。手水鉢は一枚岩でわが国では類をみない大きさだ。中央には神亀が刻まれている。
【神苑】楼門を入ると本殿がある神苑と呼ばれる境内になる。本殿は菅公薨去より2年後の905年(延喜5)味酒安行が祠廟を建てたのが始まり。
【本殿】その後、919年(延喜19)左大臣藤原仲平が勅により社殿を造営。現存の物は1591年(天正19)時の筑前国主小早川隆景が再建した。
【本殿正面】檜皮葺きで、正面には唐破風状の向拝がついた桃山時代の豪壮華麗な様式を伝え、国の重要文化財に指定されている。
【授与所】いろいろな種類の御札・御守があるが、一番有名なのは学業成就、入学祈願の御守だろう。
【飛梅】本殿右側にある白梅が「東風ふかば・・」で詠まれた京都から一夜にして飛んできたといわれる有名な飛梅。
【皇后の梅】大正11年に参拝された大正天皇后が植栽された皇后の梅(きさいのうめ)。ほんのりと紅い梅の花だ。
【橘】京都御所紫宸殿では右近の橘・左近の桜だが、ここでは梅が主役なので、橘は授与所前に植えられている。大きさ3cmほどのミカンそっくりの実が成っている。
【本殿より楼門を望む】楼門をでて右に回ると絵馬掛け所・おみくじ結び所と絵馬堂があり、本殿回廊の外側に沿って大きな参道がある。
【絵馬掛け所・おみくじ結び所】境内の何ヵ所かにこの絵馬掛け所が設けられており、かなりの数の絵馬が掛けられていた。
【絵馬堂】入学祈願の絵馬が数多く架けられている。天満宮が学問の神様と呼ばれるだけに、合格祈願の絵馬が圧倒的に多い。
【社務所・余香殿】本殿西横の天神広場と呼ばれる広場にある細長い建物は、1階が社務所、2階が余香殿になっている。
【大樟】社務所の隣には、高さ39m根廻20mの大樟があり、国指定の天然記念物に指定され、樹齢1000年とも1500年ともいわれている。
【楼門廻廊】楼門廻廊に沿って外側の参道を進むと本殿裏側にいける。本殿裏には天神さまと血縁関係にある神さまを祀っている摂社(老松社、御子社)と菅公歴史館がある。
【老松社】本殿裏手にある摂社。祭神は菅公の両親。1294年(永仁2)の天満宮古文書にも記載があり、かなり古くから祀られていたことが覗える。
【御子社】本殿裏手にある6棟の摂社の内、右手に並ぶ4社を御子社という。社殿はともに見世棚造で銅版葺きに白木で造られている。祭神は菅公4人の息子。
【夫婦樟】御子社の後ろに夫婦が寄り添って立っているように見える二本の樟の木「夫婦樟」がそびえている。
【菅公歴史館】本殿裏、崇敬者会館地下1階にある菅公歴史館。菅原道真の生涯を博多人形でジオラマ式に展示。他に奉納された天神人形、玩具、絵馬等の宝物が展示されている。
【菊花展】参道と境内では菊花展が開催されていた。このブースには賞を取った菊花が展示されている。一番手前が農林水産大臣賞。
posted by 日本の秘湯 at 08:33 | 口コミ情報(0) | 小旅行九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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