2011年06月13日

青森 青森市 三内丸山遺跡

【三内丸山遺跡】三内丸山遺跡は、青森市三内丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模縄文集落跡。遺跡跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料館もある。資料館はこちら
【案内図】竪穴住居、高床式倉庫、祭祀用大型掘立柱建物など約800にもおよぶ遺跡と、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、装身具、木器、骨角器、ヒスイや黒曜石なども出土している。板のように薄く造られた板状土偶の出土が他の遺跡に比べて多い。
【縄文時遊館】三内丸山遺跡の入口施設。開館時間 6月〜9月 9:00〜18:00(他は〜17:00)。遺跡見学、縄文時遊館、さんまるミュージアムの入場はすべて無料。
【エントランスホール】総合案内では館内の各種サービスやボランティアガイドについての情報を得ることができる。ホール中央には、巨大な縄文土器が展示してある。
【遺跡入口への通路】「縄文シアター」と「さんまるミュージアム」の間に時遊トンネルがあり、トンネル途中には模型の間がある。
【時遊トンネル】五千年の時を越えてタイムスリップする時遊トンネル。トンネルを出て左に300m進むと三内丸山遺跡。
【散策路】三内丸山遺跡は、これまでの縄文・弥生時代の既成概念を覆したばかりでなく、縄文遺跡としては考えられないような巨大建築物や、さまざまな生活用品の遺物を残していた。
【遺跡マップ】竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などからなる。
【竪穴住居ゾーン】15棟の竪穴住居が復元されているゾーン。縄文人は土地の使い分けをしていて、特に墓と普段生活する住居は厳密に分けられている。
【竪穴住居群】他に家が密集して作られる所、祀りの場所、物を仕舞う・貯蔵する場所、ゴミ捨て場などを作っていた。
【茅葺住居】地面を掘って床を作りその中央に炉を設け、柱を円錐形に立て屋根を葺く。その年代によって家の形・構造に少しずつ変化が見られる。
【茅葺住居内部】特に炉には、土器片を敷きつめたものや石で囲ったものなど、その時々の流行を見ることができる。
【茅葺住居】この復元住居は、縄文時代中期中頃(約4500年前)の茅葺きの竪穴住居。柱にクリ材を用いフジの蔓で骨格を編んでいる。
【茅葺住居内部】直径約3mのほぼ円形で、住居の中央に炉が設けられており、炉は土器を埋めて作られている。
【樹皮葺住居】縄文時代に存在した材料・道具と技術を用い、復元した樹皮葺住居には、クリやコナラの樹皮を使用している。
【土葺住居】屋根の骨格に茅の下地を葺いたのちに、全体を土葺きで仕上げた土葺住居。樹皮葺きなどと較べると、断熱効果の高い住居だ。
【掘立柱建物ゾーン】3棟の掘立柱建物が復元されているゾーン。掘立柱(ほったてばしら)建物は、地面に穴を掘りくぼめて礎石を用いず、そのまま柱(掘立柱)を立て地面を底床とした建物。
【掘立柱建物】縄文時代中期中頃(約4500年前)の掘立柱建物で、発掘調査で発見されたそのままの位置に建物の大きさ、柱の太さを忠実に再現している。
【茅葺壁】長さ6.5m、幅3.5m、高さ約6mの高床建物は、茅葺の壁と上に寄せ棟の屋根を乗せている。
【高床の床部分】6本の柱に丸太を乗せて固定し、床材は細めの丸太を半分に切ったもの使っている。
【掘立柱建物群】これらの建物は、同じ棟方向のため同時に立てられていた可能性もあるそうだ。
【掘立柱建物】また集落の中央部にあたるため、倉庫や祀りに関係する建物と考えられている。
【北盛土】竪穴住居や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器、石器などの生活廃棄物のゴミ捨て場で、周囲より高くなり小山のようになった盛土。
【つぶれた土器】堆積した土器や動物の骨で周囲の土地よりも高くなって、土饅頭のようになっている。北盛土では、一面に土器がつぶれた状態で出土した様子が見学できる。
【子供の墓】子供の遺体は、日常に使う土器に丸い穴を開けたり、口や底を打ち欠いたりした土器の中に入れられて、住居の近くに埋葬された。
【子供の墓内部】この周辺では約550個の埋設土器が集中して見つかっている。
【埋設土器】土器の中から、握りこぶし大の丸い石が1〜2個出土するものが多く、埋葬時の習慣にかかわるものと考えられる。
【大型掘立柱建物跡】地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物跡。穴の直径約2m・深さ約2mで、中に約1mのクリ材の木柱が入っている。
【大型掘立柱建物跡内部】柱穴6穴の規模や太さ、柱の下の土の分析から考えて、高さ約20m以上の建物であったとも推測されている。
【クリ材の木柱】地下水が豊富なことと木柱の周辺と底を焦がしていることにより、腐食することなく、今日まで残った。
【大型住居・掘立柱建物ゾーン】縄文時代中期後半(約4500年〜約4000年前)の大型掘立柱建物1棟と大型竪穴住居1棟が復元されているゾーン。
【大型掘立柱建物】柱と柱の中心の間隔がすべて約4.2mとなっており、縄文時代に長さの単位があった可能性も出てきた。
【大型掘立柱建物拡大】この長方形の建物はどのような目的で使用されたのかは明確ではないが「物見櫓」「祭殿」「灯台」ではないかといわれている。
【底床】掘立柱建物跡は、通常、柱穴の規則的な配列として確認されるが、下から見るとその様子がよくわかる。
【大型竪穴住居】大型竪穴住居は、集落の中央付近から見つかることが多く、集会所、共同作業所、共同住宅などの説がある。
【大型竪穴住居内部】長さが10m以上の大型竪穴住居跡が10数棟調査され、復元されたこの住居は、最大のもので長さが32m、幅10mもある。
【石囲炉の跡】建物の中には、石囲炉の跡が認められたので、これを復元している。
【出入口】建物中央の出入り口。出入口の位置ははっきり分かっていないが、大きい建物であることから3ヵ所設けられている。
【南盛土】北盛土と同じように生活廃棄物を捨て、約1,000年間で小山のようになった。土砂が水平に堆積しているので、整地されていたと考えられる。
【南盛土内部】中から、大量の土器、石器の他に、土偶やヒスイ製の玉なども見つかった。
posted by 日本の秘湯 at 11:13 | 口コミ情報(0) | 小旅行北東北 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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