2009年11月04日

和歌山 新宮 熊野速玉大社

【表参道】JR新宮駅から徒歩15分、熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮。鮮やかな朱塗りの鳥居をくぐり、参道を進むと左手に国の天然記念物の高さ20m幹回り6m、平重盛手植と伝えられる樹齢1000年の梛(なぎ)の大樹が枝を広げている。
【神門】参道を進むと朱塗りの神門。神門の向こうに朱塗りの社殿が横に5棟並んでいる。真新しく見える社殿は昭和に再建されたもの。
【拝殿と鈴門】向かって左に拝殿が、正面の鈴門奥には上三殿「証誠殿」「若宮」「神倉宮」がある。
【社務所】速玉大社の神札「牛王符(ごおうふ)」は一枚物の和紙の上に墨と木版で手刷りされ、起請文(誓約書)として用いられた。起請文としての牛王符を「熊野誓紙」という。
【拝殿】拝殿の奥には第一本社「結宮(むすびのみや)」と第二本社「速玉宮」が並んでいる。
【拝殿内部】熊野速玉大神・熊野結大神の2柱を主神としている。


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和歌山 那智勝浦 熊野那智大社

【一の鳥居】那智の火まつりとしても有名な熊野那智大社は、熊野速玉大社、熊野本宮大社とともに「熊野三山」といわれていて、全国の熊野神社の総本社として信仰されている。
【参道と二の鳥居】参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。神社と寺院が隣接して建つという、熊野三山中最も神仏習合時代の名残りを残している。
【拝殿】拝殿の後ろには鈴門を挟んで熊野権現造りの本殿があり、正殿の第四殿が最も大きい。
【本殿と鈴門】右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が南面して一列に並んでいる。
【拝殿正面】熊野那智大社の主神は、正面向かって左から二番目の第四殿に祀つられている熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)で、結宮(むすびのみや)とも呼ばれる。
【八社殿】第五殿の南西には第六殿(八社殿)が並ぶ。左から宝物殿(部分)、御県神社、八社殿(第六殿)、拝殿(部分)。
【那智の樟】境内には平重盛が造営奉行をした折、手植えしたものと伝えられている、樹齢800年、樹高27m、幹回り8.5m、枝張り南北25mの樟(くす)の大木が枝を広げている。
【胎内くぐり】根幹部には人が中に入れるほどの洞ができていて、この空洞を通り抜ける「胎内くぐり」には、備え付けの護摩木(300円)に願い事を記入し胎内出口の護摩舎に納める。
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和歌山 那智勝浦 那智山青岸渡寺

【青岸渡寺本堂】和歌山那智勝浦町にある天台宗の寺院で西国三十三箇所第一番札所。神社と寺院が隣接して建つという、熊野三山中最も神仏習合時代の名残りを残している。天正18年(1590年)豊臣秀吉が再建した入母屋造り柿(こけら)葺きの本堂は、南紀唯一の重要文化財に指定された歴史ある寺。
【本堂正面】本堂は、本尊を如意輪観世音菩薩とすることから古くは如意輪堂とも呼ばれている。この本尊は約1400年前、推古天皇の代に生佛上人が刻んだもので、開基裸形(らぎょう)上人が感得した観音仏を胎内仏にしてるという。豊臣秀吉が寄進した鰐口は日本最大の鰐口で直径1.4m重さ450kgある。
【境内】境内には元亨二年(1322年)の銘がある重要文化財の宝篋印塔や、如法堂(大黒堂)、尊勝院(宿坊)、茶室滝寿庵などの伽藍が点在する。
【三重塔】本堂横を北側に下りると朱塗りも鮮やかな三重塔が間近に、その奥に那智大滝が見える。那智大滝が構図に入る三重塔は撮影者に人気が高い。
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和歌山 那智勝浦 那智の滝

【県道46号より滝を望む】滝の右手には「那智原始林」と呼ばれる原生林が広がっていて、国の天然記念物に指定されている。那智原始林は和歌山県下唯一の原生林で、貴重な照葉樹林の森。
【那智の滝】標高965mの大雲取山を源流とする那智川最下流にあり、華厳の滝、袋田の滝とともに日本三名瀑と呼ばれている。落差133mと直下型では日本一の落差を誇る直瀑。上流にはニの滝、三の滝などの滝があり、その内の48の滝が那智四十八滝として修行の場として滝行に使われていた。落口には注連縄の張られているが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられる。
【熊野那智大社境内より滝を望む】熊野那智大社はこの那智の滝を神とする自然崇拝から起こった社。
【青岸渡寺三重塔より滝を望む】朱塗りも鮮やかな三重塔の奥に那智大滝が見える。那智大滝が構図に入る三重塔は撮影者に人気が高い。
【那智の滝落口】滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、また那智の滝の代表することから那智の大滝とも呼ばれる。落口の幅は13m。
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和歌山 那智妙法山 熊野古道中辺路雲取越

【熊野古道マップ】熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称で次の6つの道を指す。紀伊路(渡辺津-田辺)、小辺路(高野山-熊野三山約70km)、中辺路(田辺-熊野三山)、大辺路(田辺-串本-熊野三山約120km)、伊勢路(伊勢神宮-熊野三山約160km)、大峯奥駈道(吉野-前鬼-熊野三山約140km)。
【那智妙法山歩道】那智三峯の1つ標高749mの妙法山の山頂に建つ阿弥陀寺への2.6kmの古道。女性が多く参詣したので女人禁制の高野山の代わりに女人高野とも呼ばれた。古道途中の大戸平には熊野古道最大の難所、本宮へ向かう「雲取越え」の分岐点がある。熊野那智大社から那智山を越えて小口までを大雲取越え(8時間)、小口から熊野本宮大社までを小雲取越え(6時間)と呼ぶ。
【熊野古道登り口】那智山青岸渡寺の鐘楼横の大雲取越え登り口で、熊野那智大社と熊野本宮大社を結ぶ参詣道、熊野古道中辺路ルートの1つ。西国三十三所をめぐる主要ルートでもある。
【熊野古道】険しい道で歩き始めたら大雲取を越えきるまで人家はない。昔の人は1日で歩いたが、今は小口で1泊し2日かけて歩くのが一般的。
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和歌山 田辺 熊野本宮大社

【鳥居】熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の首座を占める全国に散在する熊野神社の総本宮。
【石段】鳥居をくぐると杉木立の中に石段がある。石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ち並んでいる。
【参道】158段の石段を登りきると参道の向こうに神門があり左手には拝殿、右手に授与所が見える。
【授与所】本宮大社の神札「牛王符(ごおうふ)」は一枚物の和紙の上に墨と木版で手刷りされ、起請文(誓約書)として用いられた。起請文としての牛王符を「熊野誓紙」という。
【神門】神門内には檜皮葺きの古色蒼然とした3棟の社殿がある。左から第一殿・第二殿の相殿、中央が本社の第三殿、右が第四殿である。
【拝殿】拝殿の正面には、第三殿や第四殿よりひと回り大きい相殿があり、第一殿を西御前、第二殿を中御前という。
【本殿】相殿と本社の第三殿。本社は証誠殿といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を第四殿は若宮といい天照大神を祀っている。
【八咫烏(やたがらす)】拝殿両脇にある八咫烏は三本足の烏で熊野権現の使いで、神武天皇の東征の際に熊野の地を道案内したカラス。
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2009年11月05日

和歌山 南紀白浜 千畳敷

【千畳敷】千畳敷は南紀白浜にある広い岩畳を思わせる大岩盤。南紀白浜の代表的な自然観光スポットの一つ。駐車場の土産物屋では紀州名物の黒飴「那智黒」も売っている。
【スロープ状の砂岩】瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突きだしたスロープ状になった白く柔らかい岩は第3紀層(6500万年前から165万年前までの時代)の砂岩からなる大岩盤だ。
【広い岩畳の大岩盤】太平洋の打ち寄せる荒波に浸食された岩盤が見事な景観を創っている。
【浸食された岩盤】遠くで見るよりは千畳敷の上を歩いて波打ち際まで行くといい。
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和歌山 南紀白浜 三段壁

【展望台】南紀白浜の景勝地三段壁。高さ50mの断崖絶壁が南北約2kmに渡って大平洋にせり出した奇観が続いている。
【三段壁】展望台に立つと、切り立って続く岩壁は上から覗き込むと引き込まれそうなくらい大迫力。その圧倒的な迫力に息を呑む。
【三段壁エレベーター】崖下の海面に近い所に三段壁洞窟がある。熊野水軍の船隠し場跡とされた洞窟へは岩盤をくり抜いた有料のエレベーターで行く。
【三段壁洞窟】三段壁の地底36mに広がる海蝕洞窟は、波の荒い時は大平洋の波濤が壁面に叩き付け、大きな飛沫をあげながら吹き込んでくるそうだ。
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和歌山 南紀白浜 白良浜

【白良浜】温泉の歴史も古く有馬、道後と並ぶ日本三古湯の南紀白浜温泉。また別府、熱海と並んで日本三大温泉のひとつに数えられる。美しい白砂の浜が弓なりに続く白良浜は、関西きってのリゾートビーチ。弧を描く浜辺にそって並ぶ椰子の葉が、トロピカルムードをより一層盛り上げている。
【白良浜】延長640mの遠浅の浜は、珪酸を含む石英砂の文字通り真っ白でサラサラの砂で、白い浜辺が美しいことから日本の渚百選、快水浴場百選に選定されている。浜辺には、夏は水着のまま入浴する露天風呂、冬は足湯となる温泉「しらすな」がある。
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和歌山 南紀白浜 円月島

【円月島】白浜のシンボルとして親しまれている円月島。正式には高島といい、臨海浦の南海上に浮かぶ南北130m、東西35m、高さ25mの小島だが、島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いていることから円月島と呼ばれ親しまれている。
【円月島】夕暮れの県道34号線の海岸沿いのコーナーの一角周辺に車を停車させカメラやビデオカメラを片手に人が集まる場所がある。円月島に沈む夕陽は和歌山県の夕日100選に選ばれており、日の沈む夕景の美しさは格別。
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和歌山 田辺龍神村 蟻合谷紅葉

【蟻合谷】龍神温泉と高野山を結ぶ約47kmの高野龍神スカイライン(国道371号,無料)で道の駅龍神を抜けて暫く行った蟻合谷橋上からの紅葉は、最盛期は山全体が黄色を中心とした彩りに染まる。
【護摩壇山付近の紅葉】紀州の屋根と呼ばれる護摩壇山を頂上に、周辺の標高1300mの山々にはブナ等が多く茂る。この様な全山紅葉の景色が眺められる場所は和歌山周辺では数少ない。
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和歌山 田辺龍神村 ごまさんスカイタワー

【ごまさんスカイタワー】標高1,372mの護摩壇山頂近くにある紀伊山地の山々を一望できる絶景スポット。高さ33mの塔は、護摩壇山の史実にちなんで護摩木を積み上げた独特の形をしている。
【駐車場からの展望】北には葛城山系、東に目を向けると近くの護摩檀山や遠く大峰山系を、西には城ヶ森山のほか紀伊水道の島々まで展望でき、見通しの良い日には四国山脈までも眺めることができる。
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和歌山 高野山 金剛峯寺

【参道】高野山は和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する高野山真言宗総本山の寺院。山中に開かれた100ヶ寺以上の寺院が密集する宗教都市だ。
【正門】1200年前に弘法大師が開いた高野山金剛峯寺へと続く参道の先には表門の正門がある。文禄2年(1593年)再建の金剛峯寺の中で一番古い建物。
【主殿大玄関と小玄関】境内には主殿(東西60m・南北70m)のほか、別殿・新別殿・奥殿・新書院・経蔵・鐘楼などがある。左が大玄関、右が小玄関。
【主殿】大玄関左にある檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺の主殿。
【天水桶】その屋根の上に桶が置かれていてこれを天水桶といい雨水を溜めておき消火に用いられた。
【参拝受付】金剛峯寺拝観料500円、セット拝観券(金剛峯寺・金堂・大塔・霊宝館・高野山大師教会・徳川家霊台)1500円もある。
【高野杉霊木】金剛峰寺居室に安置されている、樹高57m、直径2.87m、根元周囲9mの奥の院霊木の高野杉。
【大広間と持仏間】大広間は重要な儀式・法要が執り行われる処で、襖には狩野元信の筆と伝えられる群鶴の絵、松の絵が描かれている。正面右奥には持仏間がある。
【柳の間】関白秀次自刃の間。山本探斉による柳鷺図が描かれていることから柳の間と呼ばれている。
【渡り廊下と石庭】本殿から別殿に渡る渡り廊下にある石庭。
【蟠龍庭】2,340平方mの国内で最大級の石庭。蟠龍とは龍が天に昇らず地上に蟠(わだかまる)ことで、雲海の中で左に雄、右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されている。
【別殿大広間】庭に面し東西四つの部屋が並んでいる。西側には四季の花鳥が、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれている。
【新別殿大広間】参拝者の休憩所で、お茶の接待が受けられる。僧侶の法話も随時行われている。
【書院上段の間】天皇の応接間として使用された所で、壁は総金箔押し、天井は折上式格天井の書院造りになっている。右奥の房の着いた襖は武者隠し。
【奥書院】皇族の休憩所として使用された所で、襖絵は雪舟とその息子雲谷の筆によるもの。この部屋は上段の間と共に高野山最高の部屋。
【台所】多勢の僧侶の食事を賄うため釜も大きく柱や梁も煤で真っ黒になっている。大釜は二石釜といい、三つで一度に二石(2,000人分)の飯が作れた。
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和歌山 高野山 壇上伽藍

【蛇腹路】壇上伽藍、大伽藍と呼称される真言宗を修行する根本道場は、全体が世界遺産であり国の史跡でもある。伽藍入り口から東塔付近までのびる小道を蛇腹路(じゃばらみち)と呼ぶ。
【蛇腹路の紅葉】高野山のなかでも紅葉の名スポットとして知られる約140m、幅約4mの蛇腹路を覆う紅葉のトンネルが鮮やか。
【中門跡から金堂を望む】壇上伽藍は空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称で、高野山の二大聖地の一つである(他の一つは奥の院)。根本大塔と金堂を中心に大伽藍が形造られた。
【金堂】金堂は弘法大師が講堂として伽藍の中で最も早く建てた建物。元々は僧侶の修行道場だったが、現在は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。
【鐘楼】日本三大名鐘のひとつとして紹介されることのある伽藍の大梵鐘は、通称「大塔の鐘・高野二郎・高野四郎」などとも呼ばれている。
【根本大塔】弘法大師が高野山開創後この大塔を真言密教の象徴として建立したので根本大塔と言う。高さ48mの多宝塔で中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には十六大菩薩を配して曼茶羅を立体に顕す。
【大会堂】承安5年(1175)鳥羽法皇皇女が父帝追善のため創建。東別所として壇上に移し蓮華乗院と称した。現在は弘化5年(1848)再建のもの。巨大な建物が威容を誇る。
【東塔】白河法皇の御願により大治2年(1127)に落慶した。江戸時代再建の塔が天保14年(1843)に焼失後、140年を経て昭和58年(1983)に現在の塔が再建された。
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2009年11月06日

和歌山 かつらぎ町 丹生都比売神社

【鳥居】和歌山県かつらぎ町にある天照大神の妹神といわれる丹生都比売神(にうつひめ)を祀る日本全国の神社の総本社。1700年前に天野の地に創建されたため天野大社とも呼ばれる。天野の地は美しい日本のむら景観100選にも選ばれている。
【太鼓橋】鳥居をくぐると赤い橋があり境内へ続く。淀君が寄進したと言われる神様が渡られるための神橋。木々の茂った境内に朝霧が漂い雰囲気のある神社だ。
【参道】明治の神仏分離で高野山から独立した高野山と関係の深い神社で、世界遺産:紀伊山地の霊場と参詣道の一部として登録されている。
【境内】「丹」は朱砂(朱色の水銀)のことで、その鉱脈のある所を丹生という。丹生都比売大神は朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。
【楼門】祭神は四柱で、第一殿に主神、丹生都比売大神を祀り、第二、第三、第四殿に高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神を祀る。
【本殿】朱塗りに壮麗な彫刻と彩色が施された日本最大規模を誇る春日造りの本殿は室町時代の建築。本殿・楼門が国の重要文化財に指定されている。
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和歌山 かつらぎ町 串柿の里

【串柿の里】串柿の里、四郷(広口・滝・東谷・平)地区は400年前から串柿の特産地として長い歴史と伝統を育んできた。周りの山は柿柿柿、柿柿、柿とどこを見ても柿ばかり。
【柿屋】家々の軒先や長い柿屋に吊るしている様子は、錦秋の自然景観と調和し茜色の串柿は玉暖簾のようで、晩秋の風物詩として訪れる人々を楽しませる。村が黄色く染まるほどの柿の里だ。
【串柿の里】串柿は1本の細い竹串に10個の干し柿をさしたもので、三種の神器の一つである剣に見立てている。
【柿屋】柿をもいで、へたを取り、皮を剥いて、串に刺し、つるしてと、一家総出で大変な作業。
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和歌山 かつらぎ町 文蔵の滝

【滝入口】和歌山県と大阪府の境に位置する金剛生駒紀泉国定公園の中、四十八瀬川の上流の東谷にある滝。ここから山中徒歩5分のところにある。
【鳥居】奥に不動明王を祀るお堂がありそのまた奥に滝がある。伝承によれば文覚上人がこの滝で荒行をしたといわれている修行の滝だ。
【不動明王】お堂近くには滝修行の「こもり所」も建てられている。滝壺に行くにはここから鎖につかまり、少し水の中を歩いて行く。紀の国名水百選の一つに選ばれている。
【文蔵の滝】落差12m幅1m、岩盤が半円柱のように削られ滝壺は僅か3畳ぐらい。天井が空いた洞窟のようなところに大量の水が落ちる滝で、穴の中からの風圧を感じる実に壮厳神秘の感だ。滝修行の方がいたので遠方よりの撮影。
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兵庫 神戸 神戸ポートアイランド

【神戸ポートタワー】ポートアイランドは神戸大橋で市街と結ばれた神戸港にある人工島。展望室からは港や市街地、六甲連山等360度の大パノラマが眺望でき、夜には1千万ドルの夜景が眼下に広がる。
【かもめりあ】愛称「かもめりあ」の中突堤中央ターミナルは神戸港の高速船・遊覧船など小型旅客船用の客船ターミナル。
【遊覧船ロイヤルプリンセス】414トンと大型双胴船型の神戸港遊覧船(軽食レストラン船)。神戸港内と大阪湾に出て、神戸空港や明石海峡大橋を周遊する約40分間のクルーズを楽しめる。
 
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兵庫 姫路 姫路城

【姫路城】姫路城は慶長年間に建てられ、法隆寺とともに1993年12月、国宝であり日本で初めて世界文化遺産に登録された。白漆喰で天守や櫓を塗り込めた優美な姿から白鷺城とも呼ばれている。
【大手門と桜門橋】海抜46mの姫山という丘の上に建っている。築城以来400年を超え、大天守をはじめ80余りの櫓・門などの建造物が昔の姿のまま残っている。
【内堀】連立式天守をはじめとする独特の建築構造と要塞として精巧な意匠と工夫の凝らされた巧みな機能、そして城全体がよく保存され、内曲輪の城郭建築がほぼ完全に当時の様式を伝えている。
【桜門橋】大手門前の内堀には桜門橋という木造橋が架けられていたが、現在の橋は発掘調査で出土した遺構を生かして2007年に築かれたもの。
【大手門】本来三重の城門から成る大手門は、城内では最も格調高く厳重な門。この門は1938年に造られたもので位置や大きさは江戸時代のものとは異なっている。正面登閣口まで10分ほど公園内を歩く。
【三の丸広場】桜門橋を渡って大手門をくぐると三の丸広場、正面に姫路城の堂々たる姿を拝むことができる。到着が4時過ぎだったので天守閣へは入場できなかった。
【大天守と西小天守】大天守と3つの小天守を渡櫓でロの字型に結ぶ連立式天守が完全な形で残ってる。
【大天守】天守閣の高さは46.4m。外観5層、内部は地上6階、地下1階という構造。
【大天守と櫓】暴れん坊将軍で見られる美しい天守は二の丸から見た姿だそうだ。
【大天守と白い城壁】紅葉まっ盛りの白鷺城と真青の空が鮮やか。
【菱の門】三の丸から二の丸に至る門で、安土桃山時代の様式を残した城内で最も大きな門。両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋があることからこの名がついた。禅宗寺院などに見られる華灯窓は、城郭に使われるのは珍しく、美しさを際立たせている。
【櫓と扇の石垣】石垣が扇を広げたような美しいカーブを描くことから扇の勾配と呼ばれる。敵が容易に石垣を登れないよう下は緩やかだが、上にいくほど急勾配となっている。
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2009年11月23日

京都 亀岡 鍬山神社

【参道】亀岡市街から高槻街道の入口にある丹波の国を造った大国主命を祭る神社。丹波を湖から肥沃な大地にした際、使われた鍬(クワ)を山のように積み上げたことからこの名がついたとされる。
【大鳥居】創建は古く709年(和銅2)。亀岡の自然100選にも選ばれていて紅葉の名所として知られる。駐車場から紅葉の綺麗な参道を歩いていくと朱塗りの大鳥居が見えてくる。
【境内】境内には、鍬山宮、八幡宮、厳島社、金山神社、樫船神社、日吉神社、熊野神社、稲荷神社、安産石、愛宕神社、天満宮と沢山の末社がある。
【拝殿】鍬山神社の例大祭(亀岡祭)は古くから行なわれ、鍬山宮・八幡宮2基の神輿と各山鉾町の曳山7基・舁山4基の計11基の山鉾が巡行する。
【鍬山宮】向かって左が鍬山宮(町民と百姓の守護)、右が八幡宮(武士の守護)の2つの御社が並んでいる。祭神は丹波国造り伝説の大神である大国主命。
【八幡宮】祭神は誉田神(応神天皇)。誉田神が能面を持つて面降山に降臨したという伝承に由来する、中世に猿楽の源流の1つである丹波猿楽(矢田猿楽)座の本拠があった所でもある。
【授与所】秋には境内中が紅葉で真っ赤になり幻想的な景色。訪れる人々の心を和ませてくれる。
【紅葉】里にある小さな神社なので紅葉も大規模ではないが、神社特有の澄んだ空気の中美しかった。
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京都 大原 三千院

【御殿門への坂道】三千院は京都市左京区大原にある天台宗の寺院。青蓮院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院の1つに数えられている。本尊は薬師如来、開基は比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄。往生極楽院の阿弥陀三尊は国宝に指定されている。
【境内図】2600平方mの境内には往生極楽院をはじめ、本尊薬師如来を祀る宸殿、明治画壇に活躍した下村観山・竹内栖鳳などの襖絵がある客殿、客殿の前には池泉鑑賞式の庭園聚碧園、宸殿前の庭園有清園があり、四季折々の景観を楽しめる。
【参道】極彩色の鮮やかな紅葉に陽が角度を変え木々の隙間に射し込み、山も里も変幻自在な姿を見せてくれる。
【御殿門】高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、政所としての城廓、城門を思わせる構えだ。
【客殿】御殿門を入り客殿正面を左にまがり拝観入口へ向かう。拝観料700円。
【客殿廊下】拝観入口を入ると三千院ゆかりの人の書を掲げた掛け軸が並びさらに進むと庭園にでる。
【聚碧園】客殿を介して初めに広がる庭園。小さな滝流れ・二段の池・築山と、緑先手水鉢からの流れに伴う平庭からなり、築山ごしに杉の立木や往生極楽院を望むことができる。
【客殿から往生極楽院を望む】杉木立ちの間に見透かすように在る往生極楽院のさまが、なおいっそう庭の立体感を深めて自然の絵巻物のようだ。
【客殿内からの聚碧園の眺め】江戸時代の茶人金森宗和がこの自然の美に感動し、自ら手を加え清楚かつ優美な庭を作庭した。
【客殿から円融房写経場を望む】音無しの滝から流れ落ちる清流が律川となり、その清らかな水が池となって満ちている。
【客殿広間】明治画壇に活躍した下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳・望月玉泉・今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿広間。
【円融房写経場通路】写経とは釈迦の言葉(経文)を一字一字書き写すことを言い、仏典書写による功徳によって極楽往生ができるということ。
【円融房写経場】写経場では無料で写経体験ができる。写経といっても七仏通戒偈の最初の16文字だけだが体験としてはいいかも。
【宸殿】宸殿は三千院の最も重要な法要御懴法講の道場。白木造りの美しい本殿の正面には、伝教大師作の薬師如来が安置されており秘仏として非公開となっている。回廊の先に見えるのは往生極楽院。
【有清園】宸殿前に広がる雄大な庭園。往生極楽院を中心に「細波の滝」の滝石組・中島を持つ池が設けられ杉の木立と杉苔を中心とした特徴的な景観を作り出している。
【宸殿より往生極楽院に通ずる庭園】スギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものに心の安らぎを与えてくれる庭だ。春には石楠花の淡い色が園内一面を染め美しいそうだ。
【宸殿から見た往生極楽院】宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は清らかな自然に抱かれ、園内の所々には地蔵様が訪れる人々を暖かく見守る。
【往生極楽院】三千院の歴史の源とも言える986年(寛和2)恵心僧都(源信)建立の単層入母屋造柿葺の簡素な御堂。堂内の船底天井と壁画は、金胎曼荼羅などの極彩色の絵で包まれ極楽浄土を表している。
【阿弥陀三尊】往生極楽院の本尊(国宝1148年作)。阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から来迎するお姿で両脇侍が日本式の正座をしているのが特色。
【朱雀門より見た往生極楽院】三千院には春の石楠花、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の雪景色がよく似合う。
【往生極楽院前庭園】天をついて並ぶ杉木立。その間に枝葉を広げる樹木は季節と共にその色を変え、一面に生えつづく緑の杉苔は永遠の時を刻み込んでいるかのようだ。
【金色不動堂】三千院の祈願道場として平成元年4月建立された。本尊は金色不動明王(伝智証大師作)で秘仏となっている。護摩の火は、煩悩を焼き尽くし魔を降伏させる炎であるといわれている。紫陽花苑の静寂な一画に堂々たる偉容をみせるお堂だ。
【観音堂】金色不動堂を登ると朱色のお堂が視界が入ってくる。3mの大きな金色の観音様が安置された観音堂だ。石庭二十五菩薩慈眼の庭の横に建ち両側には縁を結ばれた方の小観音像が安置されている。
【紫陽花苑】往生極楽院を過ぎて、金色不動に向かう参道脇に数千株の紫陽花が植えられている。大原は山霧がよく発生しその霧の中に可憐な花を咲かす紫陽花は細身の杉の木々の根元を優しく包み込む。
【石仏】紫陽花苑内、律川のほとりに安置された大原の石仏といわれる石仏。鎌倉時代中期の作で高さ2.25mの蓮華座上に座し京都近郊でも大きさやよく整った形が注目されている。
【円融房写経場】無料で写経体験ができる円融房の外観。金色不動堂から坂道を下り三千院の出口に向かう石段の脇に有る。まわりの紅葉が鮮やか。
【駐車場前の魚山園】中国魚山の故事にちなんで三千院を中心とする一帯を「魚山」と言う。その名を冠した三千院門前にある民芸風料理旅館。
【三千院門前観光駐車場】途中いくつかの駐車場があるが、魚山園前にある駐車場まで登ってこれる。ここが三千院御殿門に一番近い駐車場(400円)だ。
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2009年11月24日

滋賀 大津 三井寺(園城寺)

【三井寺】三井寺(園城寺)は、滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。日本三不動の1つである黄不動で有名な寺院、近江八景の1つである三井の晩鐘でも知られる。境内には楓の木が多く季節になると奇麗な紅葉が見られ、紅葉の名所の1つになっている。
【境内図】駐車場→[中院]大門(仁王門)→金堂→鐘楼(三井の晩鐘)→閼伽井屋→霊鐘堂(弁慶鐘)→[東院]一切経蔵→唐院(大師堂 潅頂堂 三重塔)→[南院]微妙寺→観音堂→駐車場と巡る。
【大門(仁王門)】室町時代(1452年)建立の入母屋造、桧皮葺の三間一戸の楼門。三井寺の表門で東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護している。
【参道】仁王門をくぐると参道の先遠くに石段が見える。仁王門から石段までの間の参道は晩秋の季節には紅葉が美しい。
【参道の階段】右手に釈迦堂を見ながら直進すると、紅葉に取り囲まれるように急な石段がある。石段を上がったところに金堂が見える。
【御手洗】階段手前左には御手洗がある。
【境内】石段を登った所が金堂の東面、そこを左に曲がると金堂の正面に出る。広い境内には金堂のほか鐘楼、閼伽井屋、霊鐘堂が周りにある。
【金堂】本尊は弥勒菩薩。豊臣秀吉の遺志により高台院が1599年(慶長4)再建した入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂。
【金堂内部】外陣に入り、板敷きの脇陣、後陣を一周できる。外陣は板敷きだが内陣は一段低い位置で土間になっており、天台寺院の特徴を表している。
【金堂裏の仏像】脇陣、後陣には円空仏7躯などの諸仏や絵画などが安置されており拝観が可能である。
【鐘楼】金堂の左手前にあり三井の晩鐘で知られる巨大な梵鐘を吊る鐘楼。三井晩鐘は近江八景の一つに数えられ、日本の音風景百選に認定されている。
【三井の晩鐘】梵鐘は1602年(慶長7)の鋳造で、姿の平等院、銘の神護寺とともに声(ね)の三井寺といわれ日本三名鐘に数えられている。
【閼伽井屋】閼伽井屋(あかいや)は金堂西側奥に金堂と接して建っている。内部には井泉が湧き天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが御(三)井寺の名前の由来になっている。
【霊鐘堂】金堂西方の小高い場所にある霊鐘堂。三井寺と比叡山との紛争で弁慶がこの鐘を分捕り比叡山まで引き摺って行ったという弁慶の引摺り鐘と弁慶の汁鍋が安置されている。
【弁慶の引摺り鐘】奈良時代前期の鋳造でむかし俵藤太が百足退治のお礼に龍神より貰い三井寺に寄進したと伝えられる鐘。弁慶が引摺った傷痕が鐘の中部やや上側に擦れたような跡が残っている。
【弁慶の汁鍋】引摺り鐘の隣には弁慶の汁鍋がある。弁慶はじめ多くの僧兵が汁を造って飲んだと伝えられる汁鍋で、人がスッポリ入ってしまう程の大きな鍋だ。
【参道の紅葉】霊鐘堂から一切経蔵にかけて植えられている楓が晩秋の季節になると見事に紅葉する。真っ赤に紅葉したもみじのトンネルが綺麗だ。
【一切経蔵】一切経蔵は一切経を安置するための堂で、内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられている。山内には珍しい禅宗様の堂。
【唐院三重塔】一切経蔵前の参道を進み短い橋を渡ると三重塔がある。一層目の須弥壇には木造・釈迦三尊像が安置され、軒深く、三重の釣合よく相輪の水煙などに中世仏塔の風格をよく伝えている。
【唐院潅頂堂】唐院は三井寺の開祖智証大師の廟所で最も神聖な場所とされている。観光客は四脚門をくぐった場所と三重塔近辺から奥に入ることはできない。灌頂堂は大師堂の拝殿としての役割を持つ。
【階段下から四脚門を望む】唐院へ通じる参道。奥には石段があり石段の上に唐院の入り口になる表門、唐院四脚門が見える。
【微妙寺】村雲橋を渡って観音堂への参道がカーブしている場所近く右側に三井寺五別所の1つ微妙寺がある。湖国十一面観音霊場第1番札所となっている。十一面観音を祀る。
【観音堂へ登る階段】観音堂は寺域の南側、琵琶湖を望む高台に位置し、西国三十三箇所観音霊場の第14番札所として知られる。石段を上がると観音堂前の広場に出る。晩秋の季節には石段下の紅葉は素晴らしい。
【観音堂】現在の堂は1689年(元禄2)に再建されたものといわれている。本尊如意輪観世音菩薩は平安時代の作とされ33年毎に開帳される秘仏で、丁度この時公開されていた(200円)。
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滋賀 大津 石山寺

【石山寺東大門】石山寺は滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音。747年(天平19)良辨僧正が石山院を設け聖武天皇の念持仏如意輪観音像を安置したのが石山寺の始まりだといわれる。
【境内図】近江八景の1つ石山秋月でも知られ、本堂は国の天然記念物の石山寺硅灰石という巨大な岩盤の上に建ちこれが寺名の由来ともなっている。
【金剛力士吽形像】入母屋造本藁葺の東大門には運慶湛慶作とされる金剛力士(仁王)像が立っている。巨大わらじをバックにした金剛力士吽形。口の部分が劣化してしまっている。
【金剛力士阿形像】金剛力士は開口の阿形像と口を結んだ吽形像の2体を一対として寺院の表門などに安置することが多い。力強い阿形はものすごい力感だが右手の手首の付き方がおかしい。
【東大門あたりの参道】東大門を入ると石畳の参道が続き、参道の両脇には源氏絵巻を描いた石山寺もみじライトアップの行灯が並んでいる。
【料金所あたりの参道】東大門からまっすぐに伸びる参道をさらに進むと料金所ゲートが正面に見えてくる。参道はもみじのアーチになっていて鮮やかな紅葉で美しく彩られている。
【料金所】参道の突きあたりが料金所ゲートでここから先は有料だ。料金所横のブースで拝観料(500円)を納める。
【料金所先の参道】この先は、毘沙門堂、硅灰石、蓮如堂、本堂、経蔵、多宝塔、月見亭、鐘楼、御影堂、大黒天堂と順路に沿って拝観する。
【硅灰石】国の天然記念物の硅灰石(けいかいせき)。硅灰石は石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもの。奥に見える塔は国宝の多宝塔。
【本堂(国宝)】正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)からなる複合建築。正面の花頭窓部分が相の間でその東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されている。
【本堂礼堂の懸造り】本堂礼堂部は、清水寺や長谷寺と同じ懸造り(かけづくり)で、相の間で正堂と繋がっている。
【多宝塔(国宝)】下層が方形上層が円形の平面に宝形造の屋根をのせた二重の塔。1194年(建久5)に建立されたもので、昭和26年に国宝に指定された。
【料金所の紅葉】拝観の帰路は大黒天堂奥に有る右の赤い建物、大湯屋脇の階段を降りてきて大黒天堂の門が出口になる。
【大黒天堂】名前の通り弘法大師作の大黒天が祀られている。門はゲートの手前にあるがここからは入場できない。
【公風園から東大門を望む】参道両脇には宝性院、法輪院などの僧坊や拾翠園、公風園などの庭園が並んでいて見学できる(無料)。
【公風園白耳亭】ここは入場禁止。
【拾翠園】京都の叶匠壽庵が茶店を開いていて、抹茶をいただける。左手には売店&休憩所がある。
【拾翠園境内】風情のある庭が広がり、庭には長いすも置かれ腰掛けて景色を見ながら休憩できる。
【金龍竜王】由緒書には「大日如来の化身、龍族の長である。当寺院の守神で除災招福を司る。江戸中期にその姿を現わす」とある。
【淳淨館】左に見える淳淨館では、本尊如意輪観世音菩薩御開扉記念イベントとして、九日間にわたり毎夜奉納演奏会「九音九成」が開催されるそうだ。
【拾翠園の紅葉】庭を飾る赤々とした紅葉。ここの紅葉が最も鮮やかだった。しっとりと気品の漂う紅葉だ。
【源氏絵巻行灯】石山寺は蜻蛉日記、更級日記、枕草子などの文学作品にも登場し、源氏物語の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
【法輪院】東大門に一番近い僧房。ここも入場禁止。
【宝燈院】法輪院の前にある石山寺事務所。
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京都 宇治 宇治平等院

【南門受付】平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期(11世紀)の建立で、本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。鳳凰堂は10円硬貨のデザインで知られ、藤の名所で5月は大勢の人で賑わう。拝観料600円。
【境内図】藤原道長の別荘でその子頼道が寺として平等院と名付ける。定朝作阿弥陀如来像、梵鐘、鳳凰堂など国宝を多く所蔵。天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同管理する。
【平等院ミュージアム鳳翔館】南門の先にある、2001年(平成13)3月に開館した宗教法人としては初の総合博物館。
【浄土院表門】敷石に沿って鳳翔館脇を歩いて行くと浄土院の表門が見えてくる。
【浄土院(本堂)】浄土院は平等院山内塔頭(大寺に所属する別院)の1つで、浄土宗の栄久上人が1439年に開創した寺。本堂左奥には最勝院と同じく伏見城から移された養林庵書院がある。
【阿弥陀如来】本堂には阿弥陀如来が祀られている。襖絵は竹垣に梅、梅に鶯、雪景山水図で狩野派の画家による立派なもの。
【羅漢堂】本堂右側にある羅漢堂は1640年(寛永17)に宇治茶師の一人であった星野浄安道斎という人物が建立したもので、堂内には十六羅漢像が安置され禅宗様が主体となっている。
【龍の彩色画】羅漢堂は主要部材が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍の彩色画は彩色良く保存されて素晴らしい。
【不動堂 (最勝院本堂)】最勝院は平等院の塔頭2ヶ寺のもう1つで、天台宗派に属し本堂不動堂には不動明王が本尊として祀られている。隣接する小堂は地蔵菩薩坐像を祀っている地蔵堂。
【不動明王立像】1654年(承応3)京都東洞院の僧が平等院に移りその住庵を最勝院と呼んだことに始まる。中世末以来平等院と疎遠になっていた天台宗が復帰した。
【源頼政の墓】最勝院不動堂の前にあり、1180年(治承4)5月、以仁王の令旨を奉じ平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び、平等院で辞世の和歌を残し自刃した。毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれている。
【最勝院玄関】最勝院の玄関。玄関上部にある藤の花の透板彫が施された欄間は、伏見城から移されたものと伝えられている。
【最勝院北門】最勝院入口は2ヶ所あり北門から入ると正面に玄関が見える。平等院南門から平等院に入る場合は、浄土院、最勝院と拝観しこの北門にでてくる。出た先が鳳凰堂裏側となる。
【鳳凰堂(正面)】1053年(天喜元年)建立。浄土式庭園の阿字池の中島に東向きに建つ。本尊阿弥陀如来像を安置する中堂、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が平等院鳳凰堂として国宝に指定されている。
【鳳凰堂(右)】中堂は入母屋造、裳階(もこし)付きで大きな特徴は池の中島に建てられていること。あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のようにその美しい姿を水面に映している。中堂の屋根上には1対の鳳凰像が据えられているが、現在屋根上にあるのは複製で実物(国宝)は取り外して別途保管されている。
【鳳凰堂(左)】本尊を安置する須弥壇は螺鈿や飾金具で装飾され、周囲の扉や壁は極彩色の絵画(国宝)で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。長押(なげし)上の壁には楽器を奏で舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体国宝)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(国宝)を吊る。
【観音堂】境内北側、表門を入って左側に建つ。鎌倉時代初期の建築で本堂跡に再建された。本尊十一面観音立像(平安時代後期)を安置していたが現在は鳳翔館に移されている。
【藤棚】藤の古木が毎年4月末から5月上旬にかけて香り豊かに花開く。平等院には、5月につつじ、6月から蓮、秋には紅葉が見事に色づくそうだ。
【鳳凰堂へ渡る橋】鳳凰堂は9:30より20分毎に1回50名づつ内部を拝観できる。最勝院の拝観受付で志納金300円を払い整理券をもらう。
【渡り通路】橋を渡り翼廊下の通路を進み鳳凰堂内部に入る。拝観はガイド付きで阿弥陀如来・供養菩薩像の浮き彫りや周囲の扉や壁の極彩色の絵画、天蓋などのガイドをしてくれる。
【回廊より阿字池を見る】鳳凰堂は阿字池の浮島に建っており、庭園中央にある阿字池に映る鳳凰堂の姿形も美しく、当時の貴族はそこに阿弥陀如来を映して極楽浄土の姿を見ていたのかも知れない。
【回廊より境内を見る】鳳凰堂の建物周辺には紅葉したもみじが少なく、池の周辺に紅葉した木々が点在する。
【回廊】平等院は末法思想から極楽浄土を願う浄土信仰の影響を受けて、まるでこの場所に極楽浄土を出現させたかのような建物の配置になっている。
【阿弥陀如来像】本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作。柱間の格子には本尊の頭部の高さに円窓が開けられており、建物外からも本尊阿弥陀如来が拝せる。
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奈良 宇陀 室生寺

【太鼓橋】室生寺は奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院で、宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹にかけてが境内となっていて、石段を上るごとに次のお堂が現れる。境内はシャクナゲの名所としても知られる。
【境内図】仁王門をくぐり、最初の急な石段(鎧坂)を上がると、正面に金堂(平安時代国宝)、左に弥勒堂(鎌倉時代重文)がある。さらに石段を上ると如意輪観音を本尊とする本堂(灌頂堂)(鎌倉時代国宝)、その上に五重塔(平安初期国宝)があり、石段は空海を祀る奥の院御影堂(室町前期重文)へと続いている。
【表門】室生寺と俗世を分ける室生川にかかる朱塗りの太鼓橋の先には本坊入口の表門がある。横の石柱には「女人高野室生寺」と刻まれている。表門からは入れないので右に廻り参道を進む。
【参道】大きな杉の木が何本もある参道。室生寺は、厳しく女人を禁制してきた高野山に対して真言道場として女性の参詣を許したことから「女人高野」と呼ばれている。
【拝観受付所】参道の先に拝観受付所がありここで拝観料600円を支払う。中に入るとまず目に入るのは仁王門。
【仁王門】近年に再建された仁王門の両脇には吽形・阿形の仁王像が安置されている。阿形像は赤色が鮮やか、吽形像は青色で少し驚く。
【授与所】仁王門脇の授与所ではお守り、お札などが売られている。
【バン字池】門をくぐるとバン字池がある。池の形が梵語の「バン」の文字の形になっているそうだ。池に映り込む仁王門が紅葉に映える。
【鎧坂】仁王門をくぐって少し歩くと、左手に自然石を積み上げて作られた美しい石段が現れる。金堂まで上がっていくJRのCMでお馴染みの石段だ。
【鎧坂】鎧坂を登った先にあるのが金堂。ここから何段も階段がある。その数700段という。鎧坂を登りきった所で後ろを見る。
【金堂】鎧坂を登ると、柿葺の金堂が石段の上に建つ小さな平地に出る。高床の一間の舞台は江戸時代に付加された礼堂で、これが無かった時代にはこの石段上から堂内の仏像の姿が拝めたそうだ。
【舞台から前庭を望む】石段を上がって舞台から堂内を見ると、内陣には釈迦如来像を中央に、右に薬師如来像・地蔵菩薩像、左に文殊菩薩像・十一面観音像を安置している。前に見えるのは弥勒堂。
【天神社拝殿】室生寺にも神仏習合の一面がある。金堂前庭右手にある天神社の拝殿。脇に岩に彫られた明王像があり階段を登った奥に天神社がある。古く茅葺きなので屋根には苔が生えている。
【弥勒堂】金堂前庭の左手にある三間四方のお堂は弥勒堂で、内部の四本柱の中に須弥壇を置き厨子入りの弥勒菩薩像を安置する。その右に貞観仏の傑作と言われている釈迦如来坐像(国宝)がある。
【本堂へ登る階段】本堂への石段。金堂からさらに石段を登ると本堂がある。シャクナゲの木が両脇にあり5月には見事なシャクナゲが咲くそうだ。
【本堂(潅頂堂)】1308年(延慶元)建立の真言密教の最も大切な法儀(灌頂)を行うお堂。五間四方入母屋造の大きな建築で和様と大仏様の折衷様式を示す。
【五重塔へ登る階段】本堂横の石段から五重塔を見上げたところ。高い石段の上に立つ高さ16.1mの姿は、杉の木立の間に優雅に華麗に建っている。階段の下から見上げる定番の構図だ。
【五重塔】檜皮葺の屋根や丹塗りの組物が、奥深い樹林に包まれて格別の風情がある。屋外に立つ五重塔としては我が国で最も小さく、また法隆寺五重塔に次ぐ古塔である。
【五重塔より本堂を望む】相輪は九輪の上に宝瓶を載せて宝鐸を吊りめぐらせて天蓋が作らた珍しいものだ。五重塔から先は奥の院になる。急勾配の階段がここから520段続く。
【五重塔より階段を望む】室生寺は創建から1300年の間、一度も兵火で焼けておらず、平安初期の山寺の姿を残す唯一の寺といわれている。
【本堂池付近の紅葉】潅頂堂付近にあった池と石塔。山深い境内に良く似合っている。
【仁王門近くの紅葉】仁王門近くの紅葉も美しい。門の向こうにはベンチが置かれた休憩処のようなものがある。
【参道】拝観を終え室生川沿いの参道を太鼓橋方面へ戻る。
【室生川】室生川に架かる太鼓橋。川向こうには山菜料理の食事処や旅館が並ぶ。
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2009年11月25日

奈良 斑鳩 法隆寺

【参道】法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山。世界最古の木造建造物で別名を斑鳩寺という。
【南大門】法隆寺の玄関にあたる総門。創建時のものは1435年(永享7)に焼失し1438年(永享10)に現在の門が再建された。
【法隆寺(西院伽藍)境内図】西院伽藍は右に金堂、左に五重塔を配しこれらを凸字形の回廊が囲む。中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接し、回廊の凸字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。
【夢殿(東院伽藍)境内図】東院伽藍は聖徳太子の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には舎利殿・絵殿があり、北に伝法堂が建つ。
【南大門から中門への参道】法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。
【中門】西院伽藍の入口となる中門。深く覆いかぶさった軒とそれを支えるエンタシスの柱は、いずれも飛鳥建築の粋を集めたもの。
【金剛力士吽形像】左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は日本に残っている最古のもの。
【金剛力士阿形像】奈良時代の仁王像は日本でも3体のみだそうだ。
【三経院あたりの紅葉】西院伽藍左側にある三経院・西室あたりの紅葉が青空に映え美しい。
【三経院・西室】三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈したこと(三経義疏)にちなんで西室の南端部を改造して建てられた。
【拝観受付】西院伽藍の西廻廊にある料金所。西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍(夢殿)の3ヵ所の拝観料1000円をここで納める。
【五重塔】高さ約31.5mで、我が国最古の五重塔として知られ2重基檀の上に建ち、非常に均整のとれた美しい塔だ。相輪は江戸時代に改鋳されたもので鎌のアクセントがあったり興味深い。
【金堂】釈迦三尊像を始め諸像が安置されている。天井には天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊るされ、周囲の壁面には有名な飛天図が描かれている。
【大講堂】仏教の学問を研鑽したり法要を行う施設。本尊は薬師三尊像及び四天王像。大講堂の両脇には経蔵と鐘楼があり、この様な伽藍配置は法隆寺だけだそうだ。
【大講堂の彫刻】大講堂は屋根瓦の葺き替え工事中で外観は幕で覆われて見ることができない。大講堂屋根の下の龍の彫刻。
【金堂と五重塔】四方に階段を付けた2重の基檀に立つ2層づくりの金堂は、柱上に横材が何段も井桁に組まれる飛鳥時代の特徴的な建造物だ。
【大講堂から中門を望む】大講堂から金堂、五重塔、中門を望む。
【東回廊】回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っている。
【聖霊院】東室の南側の一部を改造した寝殿造りの建物。聖徳太子45歳の像などが祀られ、秘仏として毎年3月22日の御命日法要の時に開帳される。
【東室】西院伽藍の東西には、東室(ひむろ)・西室という南北に長い建物がある。この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物。
【鋼封蔵】寺宝を保管するための高床の蔵で、かつてはこのような蔵が33棟も建っていたそうだ。
【大宝蔵院】南側正面の門構え、朱色が真新しさを感じさせる。この門を抜けると入口である大きな回転扉がある。法隆寺伽藍内においては似つかわしくない感じだ。
【百済観音堂】国宝百済観音を安置するため1998年(平成10)に建設された新しい仏堂。建物はロの字型をしており、西宝殿、東宝殿、そして最奥中央は百済観音堂となっている。
【東大門への参道】中門前の参道には長い土塀が続き、両脇には法隆寺の塔頭が並ぶ。
【東大門】中ノ門ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っている。珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の1つ。
【東院伽藍への参道】東大門をくぐるとさらに東院伽藍への参道が続く。
【東院伽藍四脚門】東院伽藍の四脚門を入って直ぐに廻廊が在り、そこを入ると夢殿だ。
【東院伽藍入口】聖徳太子が住んだ斑鳩宮跡に、高僧行信僧都が聖徳太子の遺徳を偲んで739年(天平11)に建てた伽藍。
【夢殿】東院伽藍の中心となる建物。礼堂と廻廊に囲まれ聖徳太子を供養するためのお堂として、神秘的な雰囲気を漂わせている。
【夢殿】八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)なども安置している。
【舎利殿・絵殿】この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に合掌しその掌中から出現したという舎利を安置する。また西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿がある。
【東院伽藍出口】表門の前を通って隣の旧斑鳩御所の中宮寺へ行くことができる。
【東院鐘楼】この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されている。
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奈良 斑鳩 中宮寺

【法隆寺北室院】奈良斑鳩の里にある中宮寺は、法隆寺や四天王寺などと共に聖徳太子によって建立された7つの寺の1つで、夢殿でよく知られる法隆寺東院に隣接している。
【中宮寺の門】夢殿を出るとすぐに東院鐘楼があり、その先の伝法堂の北、北室院の前を右に進むと中宮寺の門がある。拝観料500円。
【本堂】本堂は1968年(昭和43)建立の和風の現代建築。堂内には飛鳥時代に造られた本尊の弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)が安置されている。その姿はモナリザ、スフィンクスと並ぶ世界3大微笑像と呼ばれる。
【表御殿】境内の中央にある江戸期の建物。その南にある本堂には、聖徳太子の往生した天寿国の有様を刺繍させたと云われる日本最古の刺繍、国宝の天寿国繍帳のレプリカが安置されている。
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奈良 奈良 東大寺

【境内図】南大門を入って参道を進むと、正面に中門その先に大仏殿がある。中門からは東西に回廊が伸び大仏殿の左右に達している。大仏殿の東方の山麓は上院と呼ばれ、二月堂、法華堂、四月堂などが、西方には指図堂、勧進所、戒壇院などがある。
【二月堂裏参道】東大寺は奈良市にある奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺。奈良の大仏として知られる盧舎那仏を本尊とし、全国の国分寺の総国分寺と位置づけられた。二月堂から上院地区を巡り大仏殿→南大門→戒壇院と廻る。
【二月堂】国宝。旧暦2月にお水取り(修二会)が行われることからこの名がある。建物は清水寺、石山寺、長谷寺などに見られる、傾斜地に前半部分がせり出すように建てられ床下に組んだ柱で建物を支える懸造である。
【良弁杉と興成神社】二月堂の建つ傾斜地の下、興成神社の北隣にある杉の木。良弁杉の奥に見える登廊は二月堂と二月堂参籠所を結ぶ屋根付の階段。お水取りの時に松明を持った練行衆が駆け上がるのがこの登廊だ。
【二月堂南面】本尊は大観音・小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。
【手水舎】二月堂の手水舎。横の階段を登った先には二月堂3社の1つ飯道神社がある。
【二月堂舞台】お水取りの日には午後7時から二月堂の舞台に長さ約6mのたいまつが次々に登場。燃えさかる炎が古都に春の訪れを告げる。
【舞台より法華堂を望む】左端に法華堂、参道を挟んで向かいに四月堂、真下に二月堂の鎮守社興成神社が見える。
【舞台より奈良市街望む】二月堂から奈良市街方面を見る。左奥の大屋根は大仏殿。
【法華堂前広場】法華堂前に大仏殿へ下りる参道がある。広場では奈良名物の鹿が戯れる。
【四月堂(三昧堂)】重文。三間四方で正方形の三昧堂。毎年4月に法華三昧が行われるので四月堂ともいう。本尊千手観音像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。
【法華堂(三月堂)】国宝。旧暦3月に法華会が行われることから三月堂とも呼ばれる。左側(北側)が正堂で奈良時代、右側(南側)が礼堂で鎌倉時代に建築された部分。
【法華堂正面(南面)】法華堂南面にある拝観入口。法華堂は東大寺建築のなかで最も古く不空羂観音を本尊として祀る。
【経庫】手向山八幡宮正面に四基づつ並んだ石灯籠の左右にそれぞれ同じ校倉が建っている。南側が手向山八幡神輿庫で、北側が法華堂経庫。
【手向山八幡宮】法華堂の南隣にある手向山八幡宮。大仏鋳造の時にその守護神として宇佐八幡神を勧請し東大寺の鎮守社となる。
【大仏殿への階段】山麓にある上院地区から大仏殿に向かうにはこの階段を下りていく。途中に行基堂、念仏堂、鐘楼などがある。
【鐘楼】国宝。鐘楼は和様・唐様・天竺様の三様式を融合し、13世紀初頭の1210年頃に栄西禅師により建立された。
【梵鐘】国宝。鐘楼に吊られている梵鐘は大仏開眼と同年の752年の制作で、中世以前の梵鐘としては最大(高さ3.85m、口径2.71m、重量26.4t)の鐘。
【大仏殿への参道】鐘楼から道を下り鏡池沿いの参道にでる。鐘楼近くの階段から見える東大寺と紅葉風景は大変な人気だそうだ。
【鏡池】大仏殿と中門の南にある池。由来は柄の付いた鏡の形をした島があることによる。島には弁財天の祠があり毎年5月2日には聖武天皇を偲ぶ聖武祭が行われ雅楽を披露する。
【中門】重文。中門は大仏殿の手前にある楼門。1716年(享保元)頃に再建された。中門の両脇からコの字形に回廊が伸び大仏殿の左右に繋がっている。
【大仏殿境内】大仏殿(東大寺金堂)は1709年(宝永6)に再建された、間口57.01m、奥行50.48m、高さ48.74mの日本最大級の木造建築物。
【大仏殿】国宝。内部には、奈良の大仏として有名な盧舎那仏の他に、虚空蔵菩薩(重文)、如意輪観音(重文)、広目天、多聞天が安置されている。
【大仏殿より中門を望む】参道中央にある燈籠が金銅八角燈籠(国宝、高さ4.6m)。側面には天女像と唐獅子が浮き彫りされている。
【盧舎那仏】国宝。盧舎那仏は像高14.98m、頭部5.41m、目長1.02m、耳長2.54m、台座高さ3.05mの日本最大の大仏。
【盧舎那仏】右手は聴衆に畏れることは無いと安心させる施無畏印、左手は人に願うものを与えようとする与願印。光背の仏像は化仏16体。
【盧舎那仏後姿】光背の後ろには雲の文様が描かれている。天井の高さが改めて感じられる。
【虚空蔵菩薩】盧舎那仏に向かって左側に大仏の脇仏として虚空蔵菩薩(重文)が安置されている。
【広目天】広目天は大仏殿の北西角に安置され、左手に巻物を持ち、右手に持った筆で何かを書き留めるという天平時代の広目天の形式となっている。
【多聞天】多聞天(毘沙門天)は、大仏殿の北東角に安置され、左手に宝棒、右手に宝塔を持つ姿となっている。
【回廊】参道から回廊を望むと伽藍の大きさに驚かされる。
【大仏殿出口】拝観は回廊左から入り回廊右に出る。こちらは出口。
【南大門】国宝。大仏様の入母屋造本瓦葺の建物。門南面左右には木造金剛力士像(仁王像)を安置している。
【南大門から大仏殿を望む】高さ25.5mもある豪壮な建物の柱の間からは、大仏殿を覗き見ることができる。
【金剛力士阿形像】金剛力士は開口の阿形像と口を結んだ吽形像の2体を一対として寺院の表門などに安置することが多い。快慶作の金剛力士阿形像は力強くものすごい力感だ。
【金剛力士吽形像】高さ8.4mの巨大な木像。南大門に向かって右に吽形、左に阿形を安置している。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆となっている。運慶作の金剛力士吽形像。
【戒壇院の門】戒壇院は出家者の受戒施設として755年(天平勝宝7歳)鑑真和上により創建。
【戒壇院】内部には中央に法華経宝塔があり、その周囲を塑造四天王立像(国宝)が守護している。
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2009年11月26日

奈良 奈良 唐招提寺

【唐招提寺】唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が759年に建立した寺院。南都六宗の一つである律宗の総本山で、本尊は廬舎那仏。奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ多くの文化財を有する。井上靖の小説天平の甍で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺。
【境内図】南大門を入ると正面に金堂その背後に講堂があり、その東西には鼓楼と鐘楼がある。講堂の東方には南北に長い東室がありこの建物の南側は礼堂と呼ばれている。境内西側には戒壇、北側には鑑真廟、御影堂、地蔵堂、中興堂、本坊、本願殿、東側には宝蔵、経蔵、新宝蔵などがある。
【南大門】南大門は鑑真和上1200年遠忌を機として昭和37年に天平様式で再建されたもの。南大門前に大駐車場がある。拝観料600円。
【参道】南大門を入ると参道の先に金堂がみえる。2000年に始まった金堂平成大修理を終え、2009年11月4日の一般公開開始直後の11月26日に訪問。
【境内の紅葉】参道脇の紅葉が真っ盛り。唐紅とはこういう色かと思わせる深い紅色で、太陽を透かして逆光で見るとキラキラと光り輝いている。
【金堂】国宝。寄棟造本瓦葺きで大棟の左右に鴟尾(しび)を飾る。西側の鴟尾は創建当初のもので、東側は鎌倉時代の1323年の補作。劣化が甚だしいため平成大修理で新しい鴟尾が飾られている。
【金堂側面】正面7間、側面4間の金堂を東側から見たところ。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。
【金堂前】唐招提寺の金堂前。木材を複雑な形に組み合わせた様子や垂木(軒下から何本も突き出している木材)の反り具合が優美な雰囲気があって美しい。
【境内】金堂(左)、礼堂(右)、横に鼓楼と奥に講堂が見える。金堂東側の屋根の中央部分だけ瓦の色が違うのが分かる。大修理以前から使用されていたものを引き継いだと思われる。1970年に新宝蔵が完成するまでは堂内に多数の仏像を安置していた。
【講堂】国宝。講堂は入母屋造本瓦葺きで正面9間側面4間。平城宮の東朝集殿を移築したもので奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重である。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)を安置する。
【礼堂】重文。鼓楼の東にある南北に細長い建物。桁行19間梁間4間、入母屋造本瓦葺き。北の10間分が東室、南の8間は仏堂となり、横の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝する堂として礼堂と呼ばれる。礼堂内には釈迦如来立像と日供舎利塔を安置する。
【経蔵・宝蔵】国宝。礼堂の東側に並んで建つ共に奈良時代の校倉造倉庫。経蔵(手前)は唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされ、宝蔵(奥)はここが寺になってから建てられたものと推定される。
【鼓楼】国宝。金堂講堂間の東側に建つ小規模な入母屋造本瓦葺きの楼造(2階建)の建物。鎌倉時代(1240年)の建築で鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しそのため舎利殿ともいう。鼓楼(右)と講堂(奥)。
【東室】重文。もとは僧坊。金堂を挟んで反対側にも西室があったが江戸時代に焼失した。中央の窪んだ所が馬道(めどう、土間の通路)で、それより北の10間分が東室、南の8間が仏堂になっている。
【鐘楼】鼓楼に相対し西側には鐘楼がある。梵鐘は平安時代の作。鐘楼の向こうに見えるのは講堂。
【戒壇前の紅葉】境内西側にある戒壇は、出家者が正式の僧となる受戒の儀式を行う場所。
【戒壇】建物は江戸末期に焼失し再建されず、3段の石壇のみが残っている。
【本坊前の紅葉】紅葉の見事な本坊の塀に沿って御影堂から鑑真和上の御廟へと行く。
【御影堂】重文。鑑真の乾漆鑑真和上坐像(国宝)を安置する。御影堂障壁画は鑑真像に奉納するため日本画家東山魁夷によって新たに描かれたもの。
【御廟の土塀】鑑真和上御廟を囲む昔のままの土壁。土壁に囲まれた落ち着いた雰囲気の一角に御廟はある。
【御廟入口】鑑真和上御廟は、境内の北東の奥まった静かな苔むした杉木立の敷地に位置する鑑真和上の墓所。
【御廟の参道】門をくぐると静かな佇まいのなか、木々と苔、緑、紅葉が美しい。
【参道の苔庭】美しい緑の苔が地面を覆っている。唐招提寺の境内の中で、最も静かで落ち着いた空気が感じられる場所だ。
【鑑真和上御廟】周りを八角形の低い壁に囲まれている。中央の鼎は古代中国の祭器。
【新宝殿】1970年に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫。金堂にあった木造大日如来坐像(重文)のほか、講堂に安置されていた奈良末期〜平安前期の一木彫仏像群が収蔵され一部が展示されている。
【滄海】宝蔵の手前にある鑑真和上渡日の逸話、滄海E漫(そうかいびょうまん=青海原が果てしなく広がっている)にちなんだ滄海という美しい池。紅葉と池に映る木々が木漏れ日の中美しい。
【金堂から南大門を望む】歴史を感じさせる境内は他の寺とは違った独特の雰囲気がある。紅葉が静かな境内に彩りを添える。
【出口】南大門の出口を出て、天平の息吹を伝える伽藍をあとにする。
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奈良 奈良 薬師寺

【興楽門】薬師寺は、奈良市西ノ京町にある寺院で、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺の1つで本尊は薬師如来、開基は天武天皇。
【境内図】北の入口である與樂門から入り、聚賓館の前を通り鐘楼から金堂、大講堂、東塔・西塔、中門をぐるっと廻る。
【東回廊】大講堂側の回廊はまだ全部繋がっていないが、緑と朱のコントラストが本当に美しい。まさに「青丹よし奈良の都は」の世界だ。
【西廻廊】青は建物の緑窓の部分、丹は建物の柱などの朱色のこと。奈良の都は青と赤で彩られた沢山の建物があり美しいということ。
【金堂】1976年の再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像を安置する。天気がいいので朱の大伽藍が一段と鮮やか。
【薬師如来】薬師三尊像(国宝、奈良時代(7-8世紀)の作)の中尊。左脇侍(向かって右)に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩を配している。像高は254.7cm。
【月光菩薩】月光菩薩は、月の光を象徴する菩薩であり、日光菩薩と一緒に、薬師如来の教説を守る役割を果たしているとされる。像高は315.3cm。
【日光菩薩】日光菩薩は、一千もの光明を発することによって広く天下を照らし、そのことで諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとされる。像高は317.3cm。
【薬師如来像台座】東僧坊に展示されている台座模型。台座にはギリシャの葡萄唐草文様、ペルシャの蓮華文様、インドの力神の裸像の浮彫り、中国の四方四神(東 青龍、南 朱雀、西 白虎、北 玄武)の彫刻がなされ正にシルクロードが奈良まで続いていた。
【大講堂】2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物。本尊の銅造三尊像(重文)は像高2.67mの大作だが制作時期などは不明。大講堂の再建後、弥勒三尊と称している。
【西塔】1528年戦災で焼失、1981年(昭和56)に復興された西塔。屋根が6層あり一見六重の塔に見えるが構造的には三重の塔である。東塔と比較するとその鮮やかな色に目を奪われる。
【東塔】国宝。高34.1mの塔は薬師寺で唯一創建当時より現存している建物。2009〜2019年まで解体修理が予定され調査のための足場が組まれている。
【手水舎】蓮の花型をした手水。花弁の間から手水が流れ落ちる。
【鐘楼】大講堂の裏手、東僧坊前にある鐘楼。
【中門】1984年の再建。両側に回廊が延びる。左右に二天王像がある。
【中門より西塔を望む】南門と中門の間の参道からみた中門と西塔。
【二天王像吽形(左)】薬師寺の中門の像は他の寺院の仁王門とは違い、仁王像ではなく武装した極彩色の二天王像だ。
【二天王像阿形(右)】中門復興の際の発掘調査により、裸形の仁王像ではなく武装した二天王像である事が判明したそうだ。
【中門より南門を望む】中門扉の間から南門をみる。手前の香炉の煙で少し霞んでいる。
【南門】重文。境内南正面にある小規模な四脚門。室町時代(1512年)の建築でもとは薬師寺西院の門だそうだ。南門からは左右に塔が見える。
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奈良 奈良 平城宮跡・朱雀門

【平城京復元】奈良建都1300年に当たる2010年の完成を目指し実物大で平城京の復元が進められている。平城京の正門である朱雀門の復元は1997年に完成し、現在は平城宮跡に大極殿・付随建物、築地塀、朱雀大路の復元工事が行われている。
【朱雀大路跡】工事中の朱雀大路。路幅は約70-80m近くあり朱雀門より北の端の大極殿まで同じ路幅で直線で1kmある。南は阪奈道路を越えて平城京の入口の羅城門まで3kmの大路が伸びていた。
【平城宮跡】朱雀門から平城宮内を望む。広大な敷地内では平城宮復元に向けた作業が進められている。朱雀門から大極殿までの南北の距離が約1km、東西の距離が1.3kmある。敷地内に近鉄奈良線が見えるがこれはどうするのだろう。
【朱雀門】完成している朱雀門。1997年高さ22m、間口約25m、奥行き10m五間三戸の二重門がかつての位置に等寸復元されている。朱雀門の左右には高さ6mの築地塀がめぐり130haの広さの宮城を取り囲んでいる。
【大極殿(正面)】朱雀門から大極殿正面を見る。大極殿は朱雀門の真北に位置し、天皇が即位や儀式、また外国からの使徒をもてなしたとされる場所。手前の電線は近鉄奈良線の架線。
【大極殿(裏側)】工事中の大極殿を裏側より見る。平城京は中国唐の長安城を模範とし和銅3年(710)に造営され、天皇が住む内裏や大極殿、朝堂院ほかさまざまな政治を行う役所の建物が建っていた。
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奈良 奈良 興福寺

【興福寺】興福寺は奈良市登大路町にある南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。藤原鎌足・不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺である。
【五重塔】国宝。古都奈良を象徴する五重塔は730年(天平2)光明皇后が創建した。現存の塔は1426年(応永33)頃の再建で、高さ50.8mの木造塔としては東寺五重塔に次ぎ日本で2番目に高い。軒の出が深く奈良時代の特徴を随所に残しているが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れた大変に力強い塔だ。
【境内図】国宝館の中は見応えのある作品が多い。中でも阿修羅像が有名。
【東金堂】国宝。正面7間側面4間、寄棟造本瓦葺きの建物で、前面を吹放とし木割が太く奈良時代の雰囲気を伝える。堂内には本尊薬師如来像、日光・月光菩薩像(重文)、文殊菩薩像と維摩居士像、四天王像、十二神将像(いずれも国宝)が安置される。
【仮金堂】昭和50年(1975)講堂跡に建てられた仮金堂。薬師寺旧金堂(室町時代、正面9間側面6間、寄棟造本瓦葺)を移建したもの。堂内には本尊釈迦如来像、薬王・薬上菩薩像、四天王像(いずれも重文)を祀る。
【中金堂跡】中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で藤原不比等の創建。旧中金堂は1717年(享保2)に焼失し仮堂が再建された。現在、天平様式の建物を復元する計画で解体が終了している。手前に見えるのが礎石、遠くに仮金堂が見える。
【南円堂】重文。西国三十三所観音霊場の第九番札所。813年(弘仁4)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って建てた八角円堂。堂内には本尊不空羂索観音菩薩像、四天王像(いずれも国宝)が安置される。
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2009年11月27日

京都 嵐山 渡月橋

【嵐山と渡月橋】渡月橋は京都市の桂川にかかる橋。北から渡月橋を渡ると中之島を経て嵐山の麓に至る。桂川の穏やかな流れ、そこに架かる渡月橋とその背景に写る嵐山は絵になる。
【茶屋】渡月橋周辺には料理旅館、土産物店が多く町中とは一味違う散策が楽しめる。観光客や車の交通量が多いのでその美しさや景色を楽しむためには平日の朝に訪れると良い。
【渡月橋】橋長250m。春は桜、秋は紅葉が美しく視界が広く四季折々の風情と佳景が楽しめる橋だ。
【桂川右岸の紅葉】渡月橋を境に上流は大堰川または保津川と呼ばれる。保津川下りの終点でもあり夏は貸しボートで水遊びを楽しめる。
【嵐山の紅葉】渡月橋の南にそびえる標高375mの嵐山は美しい自然に囲まれ、桜と紅葉の名所として賑わう。山の麓に見えるのは法輪寺の多宝塔。
【人力車】渡月橋付近で待機している人力車。人力車で優雅に嵐山散策が楽しめ、車夫の名ガイド付き名所旧跡を巡れば徒歩での観光とはまたひと味違った発見があるかも。
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京都 嵯峨野 天龍寺

【参道】天龍寺は京都市嵯峨野にある臨済宗天龍寺派大本山の寺院。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。
【境内図】境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている。参道両側に塔頭(山内寺院)が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏、僧堂、多宝殿などがあるが、いずれも近代の再建である。
【松巌寺】参道右側にある天龍寺の塔頭の1つ松巌寺。寺内左手には福禄寿天の小堂が祀られている。
【参道】塔頭の並ぶ参道を進むと正面に法堂と庫裡が見えてくる。参道の鮮やかな紅葉が美しい。
【庫裡】参道の突き当たりが庫裏でここが参拝入口(拝観料(本堂・庭園)600円/庭園のみは500円)。寺の台所、事務所の機能を持つ建物で方丈、客殿に続いている。天龍寺の庫裡は境内の正面一段高いところにあり端正なたたずまいだ。
【法堂】雲龍図がある法堂(江戸中期)。正面須弥檀中央には、釈迦・文殊・普賢の釈迦三尊像が祀られる。天井画の雲龍図は1997年(平成9)現代の巨匠加山又造画伯により描かれた傑作。法堂の前に境内駐車場がある。
【法堂渡り廊下】雲龍図秋の特別公開が行われていた(特別拝観料500円別途必要)。この渡り廊下を進んで法堂に入る。
【雲龍図】直径9mの円内に描かれた龍はどこから見ても睨まれているようで八方睨みの龍といわれている。(絵葉書より転写)
【諸堂参拝入口】入口正面には大きな達磨の衝立絵が観光客を出迎える。
【庭園入口】庭園内から入口方向をみる。曹源池に向かう州浜の白砂が美しい。
【曹源池庭園】大方丈の西側に位置する夢窓疎石が魂を込めて造った曹源池庭園は、曹源池を中心に広がる池泉回遊式庭園。桜も美しく、庭園にツバキが咲く時季もまた格別だそうだ。
【縁側から庭園を見る】遠景の嵐山と近景の亀山を借景に、自然の持つ雄大さと優美さを巧みに取り入れた借景式庭園は、方丈の縁側に腰を掛けてゆっくり鑑賞するのがお勧めだ。
【大方丈と曹源池】曹源池畔の北端から見た大方丈。曹源池庭園は借景式庭園として、国の史跡及び特別名勝第1号に指定されている。
【曹源池(北)】曹源池は心の字を表した心字池。池を取り込む木々や、借景の嵐山が色づく紅葉の秋はまさに絵画の世界。借景の山々も鏡のごとく映す。
【曹源池(南)】池中に立石群を配し、嵐山、亀山を借景として、独特の日本画のような美しさを見せている。
【曹源池(東)】池には日本庭園最古といわれる自然石の橋や、石組の滝「龍門瀑」などを配置し、手前には白砂が美しく敷かれている。
【龍門瀑】曹源池奥の山際に龍門瀑と呼ばれる石組みがある。この石組みは遠山渓谷を表し、大きな石で滝の水の落ちるさまを表現し、鯉魚石を配して鯉の滝登りの様子を表しているという。
【曹源池庭園の紅葉】庭園内にはいたる所にもみじがあり、素晴らしい紅葉を眺めながら散策できる。
【大方丈】法堂の奥に大方丈、その西側に小方丈(書院)がある。大方丈は明治32年小方丈は大正13年に建てられた天龍寺最大の建築物。
【大方丈入口】釈迦如来を本尊とする。寺宝として絹本著色夢窓国師像など数多くの重要な文化財を蔵している。
【回廊】大方丈は周りが回廊になっており回廊から広間などの拝観が可能である。また回廊から曹源池庭園も鑑賞できる。
【大広間】中央に釈迦尊像を祀る48畳の大広間がある。東は庭を隔てて唐門に面し、西は曹源池庭園に面している。
【雲龍図の襖絵】若狭物外の筆と伝えられる雲龍図。ぎょろっとした龍の目に力があり、なかなかの迫力で存在感は絶大だ。
【多宝殿への渡り廊下】多宝殿は大方丈からかなり離れた北西の方向に建てられている。多宝殿へは大方丈、書院の廊下から渡り廊下を通って行く。
【枝垂桜】多宝殿の前あたりにある枝垂桜は、その数と見事さで洛中屈指。4月初旬に見頃となる。
【多宝殿】多宝殿は後醍醐天皇の学問所跡。大方丈とは渡り廊下でつながっている。
【多宝殿入口】吉野朝の紫宸殿様式の殿舎には後醍醐天皇の尊像を祀る。
【竹林】天龍寺北門を出ると有名な「竹林の道」があるがこれは境内にある竹林。竹林の緑と紅葉の紅の対比が美しい。
【硯石】多宝殿の北側の庭園の中にある高さ2mの硯石。鈴木松年が明治32年に法堂に雲龍図を描いた時に墨を摺った硯石で記念碑として建立された。書画が上達するご利益があるといわれている。
【参道の紅葉】観光地嵐山の喧騒とは一線を画した、禅の大刹らしい厳しく引き締まった空気が漂う境内は広く、様々な景色を見せてくれる。
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京都 長岡京 光明寺

【参道】光明寺は京都府長岡京市にある西山浄土宗の総本山。紅葉の名所で別名もみじ寺とも呼ばれている。紅葉の季節は入山は有料(500円)。
【総門】総門をくぐり参道を上っていくと、彩りの異なる紅葉が非常に美しいトンネルになっている。色のグラデーションが実に見事。
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2010年05月27日

滋賀 甲賀 信楽焼 谷清右衛門陶房 古陶磁 清月堂

【谷清右衛門陶房】信楽町勅旨と長野地区にまたがる丘陵地帯にある1200年の伝統を誇る日本六古窯の一つ信楽焼の里。
【陶房玄関】旧道沿いの窯元散策路で代々山裾に窯を持ち、室町期の双胴式穴窯を復元した伝統工芸士の二代目谷清右衛門谷敏隆氏の陶房。
【陶房】信楽焼は742年(天平14)に紫香楽宮の布目瓦や須恵器を焼いたことに始まるとされている。自然釉、火色、焦げに見られる独特の侘び寂びは徳利、土鍋などさまざまな形で受け継がれている。
【陶房ギャラリー】穴窯で自然釉を生かした手造りの茶陶や壺、花器、香炉などの作品を制作販売。復元された双胴式穴窯や古信楽史料館も無料で見学できる。
【ビアマグ】信楽焼にビールを注ぐと、きめ細かな泡が苦労せずにできる。備前も良いが実用にも信楽が向いている。焼締めビアマグを購入。備前と信楽で楽しんでみるのも一興と思う。
【清月堂】陶房横にある古陶磁の展示販売館。山裾にある穴窯近くには、古信楽、江戸時代の茶壺や茶道具、花入れなどの古陶器を陳列する古信楽史料館も併設している。
【古陶磁】古伊万里の大皿やそば猪口、古信楽の大壺や水甕がところ狭しと並んでいた。
【双胴式穴窯見学】双胴式穴窯や古信楽史料館のある敷地。ご主人の車で案内して頂いた。信楽焼探訪の一番の想い出になった。
【双胴式穴窯】信楽町で発掘された16世紀中頃の窯を再現したもの。現代の穴窯との大きな違いは煙突がなく吹き出し口があるのみ。窯本体の斜度がきつく花崗岩質の窯床となっていることだそうだ。
【燃焼室と分煙壁】双胴式とは燃焼室は一つで分煙壁がありそこから左右に穴窯が平行して二本並んだような形に成っていて煙突でまた一つにつながる。
【上段の窯口より焼成室を覗く】信楽焼の特徴は、土中の鉄分が赤く発色する火色や、窯のなかで炎の勢いによる灰かぶりの自然降灰釉(ビードロ釉)の付着、薪の灰に埋まり黒褐色になる焦げなど、炎が生み出す独特の焼き上がりにあるといわれている。
【狸型の穴窯】昭和天皇が信楽町行幸の際、歌を詠んだ逸話によって今では狸の置物は、信楽焼の代名詞のような存在となった。吹き出し口が煤で黒くなり狸そっくりの顔をした穴窯。ご主人の遊び心が感じられる。
【煙突】丘陵の斜面を利用して造られた煙突。窯の温度や窯に入れる場所によって、どのような景色が出るか楽しみとのこと。
【窯内部】窯焼きは年数回くらい。信楽の土は腰が強いといわれていて大物づくりに適していて、大きなモノも作り易いそうだ。
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2010年05月28日

京都 長岡京 小倉山荘竹生の郷

【小倉山荘竹生の郷】紅葉で有名な長岡京市光明寺の近くにある京都せんべいおかき専門店。平安王朝の雅を主題に、優雅な平安情緒を今に再現した郷。開店前だったので中には入れなかった。
【外観】京都せんべいおかき専門店として有名だが、併設されている甘味点心処小倉山荘カフェでは、和スイーツを庭を見ながら堪能できる。庭の先に佇む店舗とカフェは校倉造を手本に建設された。
【長屋門】立派な長屋門。季節の花や木が植わっており、入り口の長屋門をくぐると水無瀬絵図を再現した庭が広がる。
【水無瀬絵図の庭】水無瀬絵図は藤原定家の小倉百人一首の世界を色鮮やかな絵に仕上げたもの。
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滋賀 彦根 彦根城

【彦根城】滋賀県彦根市にある井伊氏35万石14代の居城、彦根城は国宝の三重天守を持つ連郭式平山城。安土桃山〜江戸時代に建造された天守が現存する12カ所の城郭の1つで国宝4城(松本城、犬山城、彦根城、姫路城)の1つである。
【案内図】国宝(天守と附櫓および多聞櫓の2棟)、国の重要文化財(天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋の5棟)からなり、表門付近には彦根城博物館が、城の北側には国指定名勝の玄宮園・楽々園という大名庭園が配されている。
【表門橋】表門橋の前の二の丸駐車場に車を停め、橋を渡ると彦根城になる。石碑には「琵琶湖八景 月明 彦根の古城」とある。
【内壕】内壕の石垣は、上端の鉢巻石垣と下端の腰巻石垣によって構えられ、その間は芝土居となっている。
【表門券売所】表門橋で内壕を渡り、表門の跡を過ぎると左手に彦根城管理事務所のある表門券売所(彦根城・玄宮園入場券600円)、右手に彦根城博物館(500円)がある。
【彦根城博物館】彦根城の表御殿と能舞台や茶室、大名の居間なども復元し、昭和62年2月市制50周年を記念して開館した。
【廊下橋下への坂道】料金所から坂道を上り詰めると廊下橋と天秤櫓が見えてくる。
【廊下橋下】天秤櫓は鐘の丸と本丸の間の空濠に面して建てられ、鐘の丸とは廊下橋で結ばれている。橋手前の石垣は築城当初の牛蒡積み、橋奥は幕末に積み替えた落し積みになっている。
【天秤櫓】空濠の底から高い石垣を積んで櫓土台として門を構えている。櫓の両側には二重の隅櫓を設け、正面から見ればあたかも天秤を模している様に見える。橋と櫓門によって本丸が独立して防御できる構造になっている。
【鐘の丸への坂道】天秤櫓前の石段を登り、鐘の丸の方へ大きく回り込むと天秤櫓の正面、廊下橋の橋上にでる。この空濠は表門や大手門からの合流点で鐘の丸に至る道になっている。
【鐘の丸から見る天秤櫓】二重隅櫓の背面には続櫓が作られ、全体を上から見れば凹の字型の対称形だが、隅櫓の屋根は対称を破る様に東櫓は江戸に、西櫓は京都に正面を向けた造形になっている。
【天秤櫓内側への坂道】門をくぐりさらに坂道を上って回り込むと、天秤櫓の内側にでる。
【天秤櫓入口】内側には櫓内部に入る入口があり自由に中を閲覧できる。東側の天秤櫓から中へ。
【天秤櫓内部】東端の二重櫓1階から西を見る。2階は立入禁止になっている。
【時報鐘】天秤櫓から太鼓門櫓へ向かう途中にある時報鐘。現在も日に5回城下町に時を伝えている。隣接する聴鐘庵は茶屋として薄茶(菓子付500円)を楽しむことができる。
【太鼓門櫓】時報鐘の先にある本丸への最後の関門である太鼓門櫓。石垣にまたがる三間脇戸附の櫓門で初期櫓門の傾向をもち、痕跡の調査から城門を移築したといわれている。
【櫓門】太鼓門櫓をくぐり左に回り込み本丸に登ると一番高いところに天守閣がそびえている。
【本丸広場】いくつもの屋根様式を巧みに組み合わせ、美しい曲線の調和をみせる天守。現存12天守の国宝4城でもある。複合式望楼型 3重3階地下1階。
【天守(西面)】各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を詰め込んだように配置しており、変化に富む表情を見せる。
【天守閣入口】入口で履き物をビニール袋に詰め込みそれを持って内部へ。天守閣内部はこちら
【天守からの眺め(東)】本丸広場とその先に彦根の街を一望できる。
【売店】本丸広場にある売店。左手に天守閣入口への通路がある。
【展示館】本丸広場にある彦根城を世界遺産に展示館。1992年(平成4)に日本の世界遺産暫定リストに記載されたが、世界遺産登録は厳しい状況にある。
【内部】世界文化遺産の暫定リストに登録されている彦根城の世界遺産登録を目指し、彦根城の特色をパネルなどを用いて紹介。
【西の丸広場】天守閣から西の方にある広場を西の丸といい、西の丸の西北隅に三重櫓がある。
【西の丸三重櫓】三重櫓は現存する4つの櫓の1つで、からめ手(裏手)からの敵の侵入に備えた櫓。
【三重櫓1階】木造3階建てで高さ約11m、広さ約155平方m。
【2階への階段】2階へは立入禁止。明日2010年04月29日から2、3階が初公開される。1日違いで残念。
【観音台への道】三重櫓から観音台へ向かう道。こちらからも黒門へ行けるが大回りになる。引き返して天守脇から黒門へ向かう。
【天守石垣】西の丸広場の天守脇から黒門へ下りたところにある牛蒡積みの雄大な石垣。さらに下って左に回り込み、石垣に沿って降りていく。
【天守から黒門への道】坂道を下った先の長い階段状の道をさらに下ると黒門が見えてくる。
【黒門】黒門券売所のある出入口。城北東面の門で大名屋敷の楽々園、大名庭園の玄宮園に近い。
【黒門橋】黒門に架かる橋。内壕には白鳥が優雅に泳いでいる。
【黒門橋から内壕を見る】黒門橋から北側を望む。左手に壕に沿って総石垣造りの石垣が続く。
【玄宮園西入口】彦根城見学後、黒門橋を渡り内壕沿いに表門方向に歩いて行くと左手に玄宮園の西入口がある。さらに300mほど先には東入口もある。玄宮園内部はこちら
【玄宮園と天守】1677年(延宝5)第4代藩主直興が造営した大名庭園で国の名勝に指定されている。中国洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮庭園を参考に、瀟湘八景を近江八景に置き換えて作庭された縮景園。
【馬屋】現存する馬屋は全国でも珍しく、重要文化財指定の馬屋は稀少。佐和口多聞櫓の隣にあり、こけら葺きの美しい稜線をもつ屋根と、白壁に簓子(さざらこ)下見板張りの外周との調和が素晴らしい。
【二の丸佐和口多聞櫓】多聞櫓裏手の駐車場より見る。いろは松から中濠を越えて二の丸入口の両側に並んでいる白壁の櫓を佐和口多聞櫓といい、城を訪れる人の目を最初に楽しませてくれる。
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滋賀 彦根 彦根城天守閣

【天守(東面)】天守南東側にある広場からの景観。複合式望楼型 3重3階地下1階の天守閣。各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を詰め込んだように配置しており、変化に富む表情を見せる。彦根城はこちら
【天守(北面)】天守閣入口のある北東側から見た天守。石垣横の小さな白い建物は天守閣の出口。現存天守は1603年(慶長8)に築城を開始、墨書のある建築材から完成が1607年(慶長12)頃である事が判明。
【天守(南面)】南西より望む天守と石垣。こちらが本来の正面。武士の一分、大奥など映画やTVのロケ地として頻繁に使われている。
【天守(西面)】北西側から天守を見上げる。どっしりとした牛蒡積みと呼ばれる石垣の上に、三重の天守がそびえている。
【渡櫓通路】入口を入り渡櫓の中を進み天守入口へ進む。
【天守入口】渡櫓から一段上がったところが天守入口。右側には屋根瓦が展示してある。
【1階武者走り】突き当たりに井伊直弼像、右の壁には隠狭間が見える。防御の構造を敵に見せない意図と見た目の美しさから隠狭間としているのだろう。
【1階板広間】約400年前の原型の味がほぼそのまま現存していて重厚な風格を漂わしている。
【2階への階段】屋根裏を見ると曲がった梁が何本も通っている。構造的にも強いのだそうだが古建築ならではの面白さだ。
【3階への階段】順路は先に3階に登る。手前隅に1階からの階段が見える。
【3階】天守閣の最上階。意外とこじんまりしている。花頭窓からは外の風景を展望できる。
【天守からの眺め(北)】手前の森は玄宮園の庭園と池。その先に彦根球場が見える。
【天守からの眺め(西)】琵琶湖の美しい地平線がよく映える。湖西の山々は霞んでいて良く見えない。
【天守からの眺め(東)】本丸広場とその先に彦根の街を一望できる。
【天守からの眺め(南)】手前に内壕、空き地の先に中壕がかすかに見える。
【2階展示室】2階の一角には展示コーナーがあり、大棟積み飾り瓦や扉金具類などが展示されている。
【2階武者走り】武者窓のある武者走りに囲まれて展示室などの部屋がある。
【1階出口】天守閣出口の階段と鉄の御門。門扉や鏡柱の表面に鉄の板を張った門。
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滋賀 彦根 彦根城玄宮園

【玄宮園から彦根城天守を望む】滋賀県彦根市にある玄宮園は、1677年(延宝5)第4代藩主直興が造営した大名庭園で国の名勝に指定されている。彦根城はこちら
【彦根城天守から玄宮園を俯観する】中国洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮庭園を参考に、瀟湘八景を近江八景に置き換えて作庭された縮景園。
【案内図】彦根城天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣(八景亭)、鳳翔台などの建物が配されている。また北西には藩主の下屋敷楽々園が隣接している。
【楽々園】玄宮園に隣接している槻(けやき)御殿とも呼ばれる旧藩主の下屋敷。総檜造りの大書院。大老井伊直弼はここで生まれた。現在工事中で中には入れなかった。
【玄宮園西入口】彦根城見学後、黒門橋を渡り内壕沿いに表門方向に歩いて行くと左手に玄宮園の西入口がある。さらに300mほど先には東入口もある。
【西口券売所】西入口案内板を左に入り進むと左手に西口券売所があり、彦根城観覧券を提示すれば中に入れる。
【魚躍沼】仙人が住むとされる蓬莱・方丈・瀛(えい)州の3島を池泉に配し(壺(こ)梁を加えると4島)、さらに鶴亀の石を組む。左の島が蓬莱島。
【臨池閣】庭園内に入ると青い空と池泉と緑の風景が広がる。池に浮かぶように張出した茅葺きの建物が臨池閣(八景亭)。借景として彦根城が見える。
【七間橋】七間橋を渡ると方丈島(亀島)だが、柵があり観光客は入れない。
【龍臥橋から七間橋を見る】方丈島の五葉松の配置は池泉庭園ならではの美と風雅な薫りをたたえる。
【蓬莱島】正面の橋を渡ると蓬莱島。ここも柵があり観光客は入れない。
【蓬莱島の鶴鳴渚】橋を過ぎた先から眺めると、石組と松が群れた鶴が天を仰いでいるように見える。
【龍臥橋】龍臥橋を渡ると壺梁島があり橋続きに瀛州島(蘇鉄島)となる。瀛州島に架かる橋(琴橋、高橋)を渡れば畔に戻れる。
【瀛州島から龍臥橋方向を見る】護岸には石組みや石積み、州浜、舟着場などがあり見るものを飽きさせない。
【鳳翔台】園内の築山に建つ趣のある茶席。藩主が客人をもてなすための旧客殿。庭園を鑑賞しながらの薄茶(500円菓子付)の味わいは格別。
【玄宮園東入口】表門寄り桜場駐車場の隣にある東入口。こちらが正門。門を入ると東口券売所がある。入場すると龍臥橋が正面に見えてくる。
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2010年10月27日

兵庫 淡路 明石海峡大橋

【淡路SA(上)】兵庫県淡路市にある、明石海峡大橋手前にあるSAで淡路ICが併設されている。SAからはUタ一ン・上下線・一般道へと色々な方向に進むことが出来るが、淡路ICからはSAに入れない。
【エントランス・ホール】レストラン・フ一ドコ一ト・売店・道路案内所・展望広場などがあり、ゆっくりとくつろぐことが出来る。本四橋3ルートのうち、給油所がある唯一のSAでもある。
【大観覧車】淡路SAからは明石海峡大橋の勇壮な景観を間近で眺められることから「橋の見える丘」とも名付けられ、潤いのある憩いのスペ一スを提供している。下り線には大観覧車があり、空中散歩を楽しむことが出来る。
【橋の見える丘】展望デッキへの道には、恋人の聖地のトレリスゲートや花時計がある。トレリスゲートから恋人の聖地モニュメントへと続く遊歩道にイルミネーションが施れ、まるで恋人たちをモニュメントへと導くバージンロードのようだ。
【明石海峡大橋】明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路市とを結ぶ、明石海峡を横断して架けられた全長3,911mの世界最長の吊り橋。愛称はパールブリッジ。本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、交通量も本四架橋の橋の中では最も多い。
【ライトアップ】明石海峡大橋のライトアップと対岸の神戸市の夜景も楽しめる。通常はパールカラーが夜を華やかに演出する。季節ごとに彩を変えるライトアップは、今日は紅葉の季節(11/1〜11/7)でオレンジ色。ライトアップパターンは全28パターンあるそうだ、
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