2009年11月13日

大分 湯布院 金鱗湖

【金鱗湖】金鱗湖は、大分県の別府から20kmほど内陸に入った湯布院にある観光スポット。数本の小川が流れ込み湖底から温泉も湧き出ているので湖水の温度は年間を通してほとんど変わることがなく、外気温の低い日には湖面から湯気が立ち登り幻想的な雰囲気に包まれる。
【金鱗湖】明治の頃ここを訪れた儒学者が、飛び跳ねた魚の鱗が夕陽に映えて金色に輝くのをみて金鱗湖と名付けたのが呼称の始まりといわれている。紅葉したもみじが色鮮やか。水面に映るもみじも美しい。黒い建物はマルク・シャガールゆふいん金鱗湖美術館。
【金鱗湖】周囲約400mの湖には1周できる遊歩道があり、ゆっくり歩いて20分ぐらいの距離だ。人に馴れたガチョウが優雅に泳いでいる。
 
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大分 湯布院 亀の井別荘

【亀の井別荘エントランス】金隣湖のそばにある、森の中の落ち着いた雰囲気の離れをコンセプトにした人気の高級宿。広大な敷地内の右側に亀の井別荘の本館と離れ、左側に食事処湯の岳庵、茶房天井桟敷、雑貨鍵屋、亀の井ガーデンなどの外から入れる施設があり、泊り客と一般客とは中で一緒にならないように配慮されている。
【亀の井別荘本館・離れ】由布院玉の湯、山荘無量塔と並び御三家といわれ、1万坪の広い空間に本館6室、こじんまりとした佇まいの離れ15室がある。別府温泉の発展に尽力した油屋熊八が、客人を接待するために大正時代に建てた別荘がもととなっている。萱葺き屋根の門をくぐると奥の方に本館が見えて来る。
【17番館】1Fに和室、2Fは洋室の寝室、B1Fに浴室のメゾネットタイプの17番館は特に人気がありリピータも多いという。
【鍵屋・天井桟敷】大きな茅葺き屋根の古民家風の建物は、1階に鍵屋、2階に珈琲・果汁・音楽・読書空間の天井桟敷がある。
【亀の井ガーデン】鍵屋と湯の岳庵の間にある中庭には、周りにガーデンテラス、脇にドリンクカウンターを併設。木のテーブルと椅子でリラックスでき、鍵屋のおはぎを食べることもできる。
【湯の岳庵】ガーデン奥にある食事処。山菜や季節の野菜、川魚、豊後牛、地鶏など地元で採れたものをふんだんに使った料理が味わえる。
【鍵屋内部】雑貨や土産品を販売する売店。柚子煉り・寒餅あられ・季節のジャム・名物おはぎ・地味噌など大分名産と雑貨を販売している。
【鍵屋のおはぎ】祖母の代からの家伝のおはぎ。あずき、きなこ、黒ゴマの3種があり1個150円。店内のカウンターでも食べられる。
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大分 九重 夢大吊橋

【夢大吊橋】2006年10月末に開通した大分県九重町にある歩行者専用の吊り橋。標高777mの橋の上からは雄大な景色が360度のパノラマで望める。
【券売所】入場料500円。渡橋の所要時間は往復約15分。戻って来られない人のために両ゲート間を結ぶシャトルバス(200円)もある。
【天空館】九重の特産品や菓子類・弁当、採れたての野菜を販売している。ソフトクリームや九重夢バーガーなどの高原の恵みが味わえる店もある。
【中村エリア入場ゲート】西側のメインゲート。安全面より雨の日の傘は禁止、ビニールのレインコートを200円で売っている。
【展望広場より吊橋を望む】九酔渓に架かる高さ173m、長さ390m、幅1.5mの日本一高く長い吊り橋。九重連山の雄大な景色を満喫できる
【橋上】床は編み目状に下が透けて見える歩道。橋の上は結構風が吹き思ったより寒い。手摺がしっかりしているので揺れてもそんなに恐さは感じない。
【九酔渓】橋からは、紅葉の美しい九酔渓や日本の滝百選の震動の滝の雄大な景色を望むことができる。この光景は本当に素晴らしい。
【震動の滝】橋を進んでいくと震動の滝が両方に見える。右が雄滝、左が雌滝、日本でこのように100m級の滝が2本一度に見られるところは珍しい。
【雄滝】雄滝(百選)は落差83m。雌滝は落差93m。高さは雌滝の方がやや高いが、水量は雄滝が圧倒的に多い。
【北方エリア入場ゲート】吊り橋の対岸の北方エリアの入場ゲート。中村エリアと違って何もなく、トイレと券売所があるだけだ。
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2009年11月14日

熊本 阿蘇 大観峰

【大観峰】大観望は海抜936m、阿蘇外輪山の北側に位置する外輪山の最高峰で、ここから阿蘇五岳をはじめ九重連山などの素晴らしい眺めが望める。
【展望所】阿蘇の山々を一望出来るビューポイントの中でも一番と言われている。今日は靄がかかって阿蘇五岳はまったく見えない。
【大観望茶店】名物のソフトクリームや土産品店、食堂がある。食堂では地元の旬の食材を使ったたかな飯、だご汁などが味わえる。
【売店】ドイツ伝統の製法で作られたハム、レンゲ蜂蜜、阿蘇特産のたかな漬など名産品や大観峯茶店オリジナルの焼酎、民芸品などが売られている。
【阿蘇のカルデラ】世界一の阿蘇のカルデラを眼下に正面に阿蘇五岳、左からギザギサ頭の根子岳(1433m)、一番高い高岳(1592m)、いまも活動している中岳(1506m)、そして烏帽子岳(1377m)、杵島岳(1326m)と並んでいる。
【阿蘇のカルデラ】阿蘇五岳はお釈迦様が仰向けに寝ている姿に似ていることから阿蘇の涅槃像とも呼ばれる。根子岳(顔)、高岳(胸)、中岳(腹)、鳥帽子岳と杵島岳(両膝)に見える。
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熊本 阿蘇 草千里

【草千里】阿蘇五岳の1つ烏帽子岳の中腹に広がる直径1kmの火口跡で阿蘇で最も有名なスポットの1つ。新緑の時期は緑がいっぱいで、草原に大きな水たまりが横たわりその周りには放牧された牛や馬が草を食べたり水を飲んだりして素晴らしい景色になる。
【草千里駐車場】草千里の景色の良い絶景ポイントに建てられた草千里レストハウス(赤)と火山博物館(白)の有料駐車場(410円)。今日は天気が良くないので霞んで何にも見えない。
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熊本 阿蘇 阿蘇中岳火口

【案内図】世界最大級のカルデラと雄大な外輪山を誇る阿蘇山。中岳には7つの噴火口があり、白い煙を吐いて今なお噴火活動をしている。
【遊歩道】阿蘇山公園道路(560円)を登っていくと終点のロープウェイ火口西駅脇に駐車場がある。駐車場から広い遊歩道を歩いて2分位で火口の縁へ着く。
【火口縁】火口からは常に噴煙が上がっていて強い火山ガスも発生するため、ガス濃度・風向きにより立入規制が行われ火口まで近づけないこともある。
【火口】火口の直径は約600m、深さ約130mあり、底には周りの岩石から溶け出た硫黄と鉄でマリンブルーの綺麗な色をした湯溜まりが見える。
【火口から駐車場を望む】噴火に備えた退避壕・売店などが見える。火口付近は硫黄の匂いがすごく、売店では硫黄も売っている。
【退避壕】活火山だけに周囲には、突然の噴火による噴石被害から身を守るための鉄筋コンクリート製の避難所が点在している。
【ロープウェイ火口西駅】阿蘇山西駅〜火口西駅を高低差108m、所要時間4分で結ぶ(1000円)。下の阿蘇山西駅にはレストラン・売店、バス発着場、阿蘇山上神社などがある。
【火口西駅構内】駅構内にはトイレ、売店のほか、救護所が設けられている。気管支炎など呼吸器系疾患の人は登山禁止なので注意が必要。
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熊本 南阿蘇 高森峠

【マップ】高森峠は、阿蘇から国道265号を南下、宮崎高千穂へ向かう途中にある高森峠トンネル付近の阿蘇南外輪山の峠。
【高森峠】阿蘇五岳と南阿蘇平野の眺望がとても美しい。旧道の通称「九十九曲り」はヘアピンカーブが続く約6000本の桜が咲き誇る桜の名所。
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宮崎 高千穂 国見ヶ丘

【国見ヶ丘】標高513mの国見ヶ丘は雲海の名所として知られている。雲海は昼と夜の気温差の大きい春と秋の季節の早朝に出る。
【高千穂盆地】昼過ぎだったので雲海は見れなかったが、高千穂の山々に町並みや棚田の風景、祖母連山や阿蘇の山々など展望抜群。
【阿蘇涅槃像】前の小山の遠く向こうにうっすらと見えるはずの阿蘇五岳涅槃像。今日は雲がかかって見えない。
【天孫降臨】神武天皇の孫・建盤竜命(たていわたつみのみこと)が日向を経て阿蘇に向かう途中、ここで四方を望んだことから国見ヶ丘と伝えられた。
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宮崎 高千穂 高千穂峡

【高千穂峡】阿蘇山による太古の噴火で、五ヶ瀬川に沿って流れ出した溶岩が浸蝕されてできた渓谷。高さ80m〜100mにも達する断崖が7kmにわたり続いている。
【高千穂峡入口】神橋そばのあららぎ駐車場から橋横の階段を降り高千穂峡に入る。渓谷は奇岩や柱状節理の断崖が続き、四季をとおして雄大にして清々しい景観だ。
【高千穂三橋】奥より神都高千穂大橋(平成15)、高千穂大橋(昭和30)、神橋(大正)。左の白い建物(売店・食堂)脇の階段を降りてきた。
【神硯の岩・槍飛橋】ここは五ヶ瀬川の中でも一番川幅のせまい所。戦国時代高千穂が攻められたとき落ち延びた家来が槍で飛び越えたという。
【仙人の屏風岩】遊歩道の対岸にそびえる高さ約70mの仙人の屏風岩。不老不死の術を得、神通力を持つ仙人にこそ成せる業のような造形美ということから名付けられた。
【鬼八の力石】高千穂神社の神様が悪さをしてみんなを困らせていた鬼八を退治したという伝説で、鬼八が三毛入野命に投げ力自慢をしたという石。重さ約200t。
【遊歩道】峡谷沿いに遊歩道が整備されているので、吸い込まれそうな緑色に輝く五ヶ瀬川の水と、荒々しい柱状節理の岩のコントラストを見下ろしながら散策できる。
【遊歩道】柱状節理のそそりたつ断崖、千古の謎を秘めた深淵、湧く岩清水などが連なる峡谷沿いに遊歩道が続く。
【真名井の滝】高千穂峡の一番の見所、真名井の滝。峡谷は貸しボートで遊覧でき、峡谷に流れ落ちる日本の滝百選の一つである高さ17mの真名井の滝の近くまで近づくことが出来る。
【柱状節理】噴出した阿蘇山の火砕流が五ヶ瀬川に沿って流れ出し、急激に冷やされて柱状節理(溶岩が冷却されて固まるときに収縮しておきる岩に生じる柱状の節理)の懸崖を造形。
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宮崎 高千穂 高千穂神社

【高千穂神社】天孫降臨の地ともいう高千穂の中心部にあり、古くから高千穂八十八社の総社として信仰を集めてきた古社。鳥居をくぐると参道に狛犬がいる。神社内にも源頼朝が奉納したとされる鉄製狛犬一対があり、鎌倉期の名作とされこちらは国指定重要文化財になっている。
【本殿】創建はおよそ1800年前といわれ、天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)以下日向三代の神々と神武天皇の兄・三毛入野命一族が祀られている。梁間2間の五間社流造銅板葺の社殿は、国指定重要文化財にもなっていて、本殿回廊には鬼八を退治する三毛入野命の彫刻がある。
【境内】境内には樹齢800年の秩父杉をはじめ夫婦杉が林立し、杉のスケールが大きく巨木の杉の下は地上にも大きな根元が張り出しつまづきそうだ。
【夫婦杉】2本の杉は根元が1つになって如何なる事があっても別れられない形を現わし、夫婦で手をつないで3回廻ると夫婦円満のご利益があるという。
【神楽殿】神楽殿では、毎日20時から1時間、観光夜神楽が行なわれていて見学できる(500円)。神事としての夜神楽は11月22〜23日にある。
【神楽舞台】高千穂神楽の中から「手力雄の舞」「鈿女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」の4つの神楽が舞われている。
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宮崎 高千穂 天岩戸神社

【大鳥居】高千穂町の中心部から北東に約7kmのところにある天岩戸神話を今も伝える神社。天岩戸神社には岩戸川を挟んで東西2つの神社がある。
【参道】大鳥居をくぐり参道を進むと左手に授与所・社務所があり、その奥右手に拝殿への入口神門がある。
【神門・拝殿】西本宮は天岩屋(岩窟)、東本宮は天照大神を主祭神とする。境内には岩戸型灯篭という頭が丸い珍しい石灯篭が並んでいる。
【神門】西本宮の拝殿は岩戸川の右岸(西岸)に立ち、ご神体・天岩屋は深い渓谷を挟んで東岸の断崖中腹にある。
【拝殿】ご神体が天岩屋のため西本宮は本殿を持たないが、拝殿左脇に配祀神を祀る切妻造妻入の御旅所がある。
【拝殿内部】天岩屋は神聖な神域にあるので足を踏み入れることはできないが、社務所にお願いすれば神職に遥拝所に案内してもらうことができる。
【遥拝所入口】天岩屋の周辺は雑木で覆われ、黒い岩肌にぽっかりと空いている洞窟の様子を渓谷越しに拝観することができる。
【神楽殿・天安河原遥拝所】拝殿左手にある神楽殿は、天安河原の遥拝所でもある。
【招霊の木】境内には天細女命が岩屋戸の前で招霊(おがたま)枝を手に持って踊ったと伝えられる招霊の大木が枝を垂らしている。
【天安河原側出口】天安河原へは川沿いの道を10分ほど歩いていく。八百万神を祀る天安河原宮は間口40m、奥行30mの大洞窟の中に鎮座している。
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宮崎 高千穂 天安河原

【西本宮・天安河原遥拝所】天岩戸神社西本宮にある天安河原の遥拝所。こちらから参拝してもよいが天安河原へは川沿いの道を10分程で歩いていける。
【天岩戸神社出口】駐車場のある参道入口とは反対にある天安河原への出口。鳥居を出て少し歩くと天安河原入口の案内がある。
【案内板】天安河原は西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所と伝えられている。
【岩戸川に架かる橋】天安河原へ至るまではきれいな渓谷が流れ、途中には橋もある。
【河原の遊歩道】道沿いに流れている渓流には苔むした岩が多く雰囲気がある。道は一本道で途中案内標識もあるので迷うことはない。
【仰慕窟】遊歩道の終点の河原の中央部にある仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる間口40m、奥行30mの大洞窟には小さな鳥居と天安河原宮がある。
【天安河原宮】天岩戸に隠れた天照大神を誘い出す方法を提案した知恵の神・思兼神(おもいかね)を主祭神として八百万神が祀られている。
【仰慕窟より外を望む】ここで石を積んで願い事をすると叶うということで、辺りには無数の積み石が積まれている。
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2009年11月15日

鹿児島 指宿スカイライン 須々原展望台

【須々原展望台】指宿スカイライン錫山ICから川辺IC方面へ向かう途中にある須々原展望台(鹿児島市)は、市街地・桜島を一望できるベストスポット。
【桜島】靄がかかっていてもやっぱり桜島。雄大な桜島を背景に市街地が一望できる。ここから見る夜景と朝の桜島はまさに絶景だそうだ。
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鹿児島 指宿スカイライン 錦江台展望公園

【錦江台展望公園】指宿スカイライン川辺ICから知覧IC方面へ向かう途中にある錦江台展望公園(南九州市)。愛称スカイぱれっとで親しまれている。
【吊り橋】錦江台展望公園は、売店、展望デッキ、つばきの森、野鳥の森があり、吊り橋を渡ると大隅半島、錦江湾の雄大な景色が一望できる。
【展望デッキから売店を望む】展望台へは谷をぐるりと森を散策しながら訪れるか、赤い吊橋を渡って訪れる方法がある。
【桜島】駐車場から吊り橋を渡り階段を上ると左手に、お椀を伏せたような形の桜島と錦江湾が微かに見える。
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鹿児島 指宿 池田湖

【イッシー】薩摩半島南部指宿市にある幻の怪獣イッシーで有名な、開聞岳の噴火によってできた九州最大のカルデラ湖。指宿スカイライン頴娃ICから県道17号、県道28号を南へ進めば池田湖湖畔に辿り着く。湖畔には無料駐車場もある。
【池田湖】水深233m・周囲15kmの湖水は藍色に澄み、目の前に薩摩富士と呼ばれる開聞岳が望める。湖の東側は切り立った岩山が湖にまで落ち込んで人を寄せつけない険しさがある。西側は観光地化されて土産物店・ボート発着所がある。
【開聞岳】池田湖パラダイス付近のボート乗場からみる開聞岳。大うなぎの展示も見れる。
【県道28号沿いの土産物店】県道沿いには土産物店や軽食ショップが並ぶ。前には広い駐車場がある。
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鹿児島 指宿 開聞岳

【池田湖】指宿スカイライン頴娃ICから県道17号、県道28号を南へ進んだ池田湖湖畔の池田湖パラダイスボート乗場からみる標高924mの開聞岳。
【県道28号】池田湖から開聞岳に向かう県道28号から望む北側の開聞岳。見事な円錐形の山容から薩摩富士とも呼ばれる。
【開聞山麓ふれあい公園】開聞岳の裾野に広がるレジャーパーク。開聞岳の登山口でもある開聞山麓ふれあい公園駐車場からみる北側の開聞岳。
【せびら自然公園】開門岳北部から国道226号を海岸沿いに北西へ進んだせびら自然公園からみる西側の開聞岳。開聞岳と海に道に松がありまさに絶景。公園のちょっと先海側に駐車場がある。
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鹿児島 桜島 桜島フェリー

【鹿児島港フェリーターミナル】鹿児島市の鹿児島港と桜島港との間を結ぶ薩摩半島と大隅半島を結ぶ大動脈。乗船手続きは特に無く桜島港のゲートで乗船料金を支払うだけ。
【案内図】昼間最短10分間隔、深夜60分間隔の24時間運航を行っており、約3.5kmの距離を約13分で結んでいる。
【チェリークイーン】1,134トン、全長56.1m。フェリーは方向転換しなくて良いように前後対照に作られていて、搭乗口・操舵室も前後にある。
【車格納デッキ】3列の縦列駐車。約13分で到着するので、客席には移動せず車内に居残ってる人もかなりいる。
【桜島】最上階デッキより桜島を望む。桜島港に近づくにつれ桜島の威容がだんだん大きくなる。
【プリンセスマリン】すれ違うプリンセスマリン。桜島フェリーの中でも一番新しい大型船でバリアフリー仕様だそうだ。
【デッキ】フェリー最上階のデッキ。車の中で到着を待っているのか人影はまばら。
【客席】船室にある客席。デッキにもテーブル席が設けられていてうどん等が食べられる。
【売店】船内にはやぶ金といううどん屋があり、わずか15分という短時間で食べきらなければならないのだが多くの利用者から親しまれている。右のかすかに見えるあずき色の暖簾が目印。
【桜島港料金所ゲート】運賃の支払いは桜島港で行う。鹿児島からの乗船時には案内表示に従ってそのままフェリーへ乗船し、到着先の桜島の料金所ゲートで料金(普通車1,480円)を支払うシステムだ。
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鹿児島 桜島 湯之平展望所

【案内図】桜島は、鹿児島県の錦江湾にある東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77平方kmの半島。桜島の最高峰北岳は高さ1,117mある。
【展望所案内図】湯之平展望所は、桜島の北岳の4合目、標高373m地点にある。桜島港から県道26号で北へ2km弱、桜州小学校の脇から入る。
【湯之平展望所】展望台1階には、眼下の錦江湾を一望できる休憩スペース・売店が、2階には展望所と噴火の歴史など桜島に関する展示がある。
【展望所よりみる北岳】桜島は北岳・中岳・南岳と3個のコニーデ式火山が相接している複合活火山で、今も噴煙を上げ灰を降らせている。
【北岳】山肌が手に取るように見えるが、現在活動している南岳噴火口の逆側になり、迫力はそれほどではない。
【展望所より北岳を望む】古代から噴火の記録が数多く残っている。最近の大きな噴火は大正3年のもので、この時に大隅半島と地続きになった。
【展望所より錦江湾を望む】桜島は土石流の発生が多く、流された土砂は山のふもとにたまり、写真中央部分のような扇形の扇状地という傾斜をつくる。
【展望所より錦江湾を望む】眼下には溶岩原が広がり、その麓にはフェリーが発着する桜島港、鹿児島市街や霧島連山、開聞岳をも望む事が出来る。
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鹿児島 桜島 烏島展望所

【烏島展望所】桜島の噴火で埋もれて陸続きになった烏島があった所にある展望所。桜島ビジターセンター前の大正溶岩の道を南下した途中にある。
【展望台】道路沿いに駐車場がありそのすぐ脇に展望所がある。展望台は溶岩の小山の上にあり3階位の高さ。トイレはあるが売店等はない。
【溶岩遊歩道】駐車場の右端と左端の両方から道があって、5分位の距離で周って歩ける。溶岩地帯の真ん中にあり周囲には溶岩以外なにもない。
【溶岩】大正3年の大噴火では噴煙が約8,000mも上昇し、約1ヶ月にわたり30億トンもの溶岩が流出した。昔は島であったことを思うと自然の驚異をまざまざと感じる。
【展望所より海方向を望む】溶岩流によって桜島は大隅半島と陸続きとなり、沖合500mにあった烏島が呑みこまれ完全に埋没した。
【展望所より山方向を望む】現在は、桜島山と錦江湾を一望できる展望所として整備され記念の碑が建てられてる。
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2009年11月16日

鹿児島 霧島 霧島神宮

【案内図】霧島神宮は創建が6世紀という古い歴史を誇る神宮で、天孫降臨の邇邇芸命(ににぎのみこと)を祀る。現在の社殿は正徳5年(1715年)に第21代藩主島津吉貴公により造営寄進されたもの。
【大鳥居】入口には高さ22.4m、幅16mの大鳥居がある。ここを車のままくぐりロータリーを右折して道なりに進むと駐車場に到着する。
【神橋と二の鳥居】天孫降臨の地としても有名なこの神宮はかなり広く歩いて登るのも結構大変。ロータリー先の神橋を渡ると階段と二の鳥居が見える。歩いてもいけるが車に戻り駐車場を目指す。
【三の鳥居】駐車場先の売店を過ぎると三の鳥居が見える。紅葉の時期は参道下の街路樹が見事に色づく。鳥居脇には君が代で有名なさざれ石があり、ここから本殿までは徒歩5分ほどだ。
【社殿から参道を望む】三の鳥居から木々に覆われた道を100mほど進むと、霧島神宮の壮麗な朱塗の本殿、拝殿が現れる。
【社殿全景】老杉の木立が茂る参道を抜けると社殿があらわれる。桜、紅葉の季節はすばらしい自然美が楽しめる。
【社殿】朱塗りのあでやかな社殿。前方より勅使殿、拝殿、本殿が並ぶ。左右に門守神社がある。社殿は国の重要文化財に指定されている。
【勅使殿】大きな唐破風を持つ豪華な造り。勅使殿の手前には、菊の御紋章付きの賽銭箱がある。
【神楽殿】霧島神宮御鎮座1460年を記念して平成17年秋に建立された。
【授与所】おみくじやお守りの授与所。朝7時だったのでまだ開いていない。
【手水舎】樹齢数百年という木々が立ち並び荘重な空気が漂う神宮だ。苔むした手水石と龍の頭の注ぎ口に時代を感じる。
【御神木】境内右手には、樹齢800年、樹高35m、幹囲7.3mの御神木(霧島スギ)がある。このスギは南九州一帯のスギの祖にあたるそうだ。
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鹿児島 霧島 丸尾の滝

【駐車スペース】霧島神宮から霧島温泉郷に向かう途中の国道223号沿い、丸尾温泉地区にめずらしい温泉の滝がある。国道のカーブの部分に標識があり、ちょっとした駐車スペースがあるのでそこに停めて見るといい。
【丸尾の滝】近隣の林田温泉・硫黄谷温泉から集まった温泉水が、湯煙をあげて落ちるダイナミックな滝だ。柱状節理が斜に露出した崖に落ちるので、風もないのに水が斜に流れる面白い姿をしている。乳青色の滝壺が滝とは思えないなんとも美しい色だ。
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熊本 人吉 人吉城跡

【人吉城跡】日本百名城の一つである人吉城跡は、球磨川と胸川を堀がわりにした特異の築城と、石垣のはね出し武者返しが珍しい城跡だ。
【相良護国神社】春は相良護国神社境内と球磨川沿いの石垣に沿って咲く桜が見事で多くの花見客で賑うそうだ。
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熊本 熊本 熊本城

【熊本城】日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後領主加藤清正によって築かれた。武者返しと呼ばれる美しい曲線を描く石垣で有名。本丸広場からみた天守閣の優美な姿。
【復元予想図】大小天守は明治10年(1877)の西南戦争で焼失したものを昭和35年に再建したもの。焼失をまぬがれた宇土櫓など12の建造物は昔時のままで国の重要文化財に指定されている。
【駐車場】二の丸駐車場に止め西出丸より入城する。国指定重要文化財の宇土櫓、熊本市内の展望が楽しめる天守閣、本丸御殿など熊本城を代表する建造物を見学する。
【西出丸長塀と空堀】西出丸の建物は平成14年に南大手門、平成15年に戌亥櫓、未申櫓、元太鼓門、奉行丸の塀の復元が完成した。
【西大手門】西大手門をくぐり西出丸に入る。熊本城は西・南・北の3つの大手門を持ち、その中で西大手門は最も格式の高い門とされる。北大手門はまだ復元されていない。
【南大手門】西大手門をくぐると目の前に頬当御門、天守閣、宇土櫓が見えてくる。途中、右手には南大手門があるが天守閣に行くのには特に通る必要はない。
【頬当御門】西出丸から見る頬当(ほほあて)御門。2本の門柱の上に貫を渡した冠木門(かぶきもん)という形式で、昭和35年(1960)に再建された。天守閣へ向かう正面入口でここで入城料(500円)を払う。入口で申し込むと無料で熊本城を案内してくれる。中央に見えるのは宇土櫓の付け櫓、左は宇土櫓。
【天守閣】宇土櫓のある平左衛門丸から見る大小天守。大天守は3層6階で地下1階、高さ約30m。2層の千鳥破風の上に唐破風を備え外壁は各階の軒下に白壁を配した以外は黒の下見板で囲われ、品格ある重厚な趣きを漂わせている。小天守は2層4階で高さは約19m。
【クスノキ】熊本城には大きなクスノキがたくさんある。頬当御門付近の樹齢600年、高さ27m、幹囲6.85mの大クスノキ。飯田丸五階櫓には樹齢800年の熊本城最大のクスノキがある。
【井戸】加藤清正は文禄・慶長の役のとき明・朝鮮連合軍を相手に苦しい籠城戦を体験した。その経験から籠城の備えを万全にするため城内に120以上の井戸掘ったという。この井戸は深さ36mある。
【桝形通路・闇り御門】直角の桝形の通路を曲がると闇り(くらがり)通路の入口、闇り御門がある。闇り通路をでると大小天守閣、本丸御殿のある本丸広場にでる。
【闇り通路】本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建てられたため地下通路がある。御殿への正式な入口であり闇り通路と呼ばれている。このような地下通路を持つ御殿建築は全国にもあまり例がない。
【本丸広場より天守閣を望む】闇り通路突き当りを左に曲がると本丸広場にでる。本丸の最高所、標高50mの茶臼山の頂上に天守閣は位置する。小天守脇の坂道を登っていくと天守閣入口がある。
【天守閣入口】天守閣内は熊本博物館分館になっていて、1Fは加藤清正資料や熊本城と城下町の絵図・模型、2Fは細川氏関係資料、3Fは西南戦争関係資料を展示している。
【暗門燈籠】闇り通路に吊るされていた燈籠。昼夜百匁(400g)のローソクを灯していたそうだ。
【天守閣の鯱】鯱が展示されている。左は大天守用で高さ155cm、右は小天守用で高さ130cm。
【天守閣の階段】城内は右側通行、上り階段と下り階段が区分されている。
【最上階展望台】展望台からは東西南北の景色が一望できる。手摺があるだけなので見通しは抜群。
【大天守より宇土櫓(西)を望む】真ん中に頬当御門、右に宇土櫓が見える。その先右に塀で囲まれた西出丸、左に奉行丸がある。後方の山の間に広がってるのは二の丸広場。西側は前方に山がそして山の手前に市街地が広がり、都市と自然が調和した綺麗な街並みが望める。
【大天守より本丸広場(東)を望む】本丸広場正面の建物は売店で絶好の天守閣撮影ポイント、修学旅行の記念写真を撮っているのが見える。左端は車椅子対応・オストメイト対応トイレ。晴れた日には遠く阿蘇山も見えるそうだ。
【大天守より小天守(北)を望む】天守閣最上階からみた小天守。
【大天守より本丸御殿(南)を望む】下に見えるのが本丸御殿。その先に熊本市中心部が見える。
【闇り通路東竹の丸口】闇り通路の本丸広場出口とは反対方向にある東竹の丸への出口。
【東竹の丸へ続く石段】東竹の丸には、西南戦争の火災にも焼け残った不開門(あかずのもん)や高石垣の上に櫓が建ち並び、国指定の重要文化財に指定されている。
【宇土櫓】平左衛門丸(大天守下)の西隅にある宇土櫓・渡り櫓・付け櫓。第3の天守閣と言ってもいいほどの堂々とした建物だ。当時の素材を使っているので、復元天守と違い時代を感じさせてくれる。
【宇土櫓正面】小天守方面からの宇土櫓と塀。宇土櫓は、外観3層、内部5階地下1階、入母屋屋根を2段に重ねている。直線的な屋根、破風など大小天守閣とは異なった風格をもっている。
【塀】塀には敵が城内に侵入してきた際鉄砲や矢を打つ小さな窓、狭間(さま)が設けられている。熊本城の狭間は長方形で長短2種類あり、長いものが矢狭間、短いものが鉄砲狭間。
【宇土櫓から数寄屋丸へ通じる桝形通路】ここを下っていくと熊本城の特徴である武者返しの美しいカーブの石垣や幾重にも重なった豪壮優美な石垣がを見ることができる。
【渡り廊下】見学コースは付け櫓から入り宇土櫓に抜けるルートになる。甲冑姿の武者が走っても楽にすれ違えるよう、幅が広く作られており武者走りと呼ばれている。
【明り障子】宇土櫓の窓は、格子の外側に突上戸、内側に明り障子が付いている形式。戦闘時には銃眼だけでなく格子の間からも鉄砲を撃ちかける。
【屋根と壁の内部構造模型】廊下右側には修理の際に差し替えた古材、屋根と壁の様子がわかる模型、創建当時の瓦などが並んでいる。
【主室】1階の一番隅の部屋が主室。黒光りする床が時代を感じさせる。
【階段】1階から2階へ上がる階段。防御のことを考えてかかなり急勾配だ。
【階段】4階から最上階へ上がる階段。一室を武者走りが取り囲んでいる感じの部屋だ。
【最上階】見張りのための廻縁(まわりえん)など天守閣には見られない造りだ。
【最上階から西大手門方向を望む】四方の窓が開け放たれているので開放的で気持ちがいい。
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熊本 熊本 熊本城本丸御殿

【案内図】加藤清正によって創建され、行政の場、歴代の肥後藩主の生活空間として使われてきた本丸御殿は、明治10年(1877)の西南戦争で焼失したが、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大御台所が復元され平成20年4月から一般公開された。入ってすぐの御膳立之間は展示室になっている。
【大御台所】玄関がないので入るとすぐ御膳立之間や大御台所になる。本来は御殿の入口は地下の闇り通路より上って式台之間に出るのがルート。そして式台之間から鶴之間に入り、梅之間、桜之間、桐之間、若松之間、昭君之間と続く。大御台所には2つの大きな長い囲炉裏が並ぶ。
【大御台所天井】上を見ると直径3尺の巨木の丸太梁が渡してあり巨大な小屋組みを見ることが出来る。火をおこす部屋なので吹き抜けの上部は煙抜きになっている。
【大御台所土間】土間にはかまどなどの調理場が置かれている。大台所は2階建になっていて予約すれば2階で本丸御膳という江戸時代の献立を再現した料理が食べられる。
【本丸御殿玄関】本丸御殿玄関は闇り通路内に設けられていた。この床板張りの廊下と階段は玄関の一部で、階段を上がると地下と1階の間に廊下と14畳の玄関があり、さらに階段を上がると1階大広間の式台之間と鶴之間に通じていた。
【鶴之間】闇り通路からあがる階段の上部を示す木の枠がある。なぜかパソコンが置いてある。
【大広間】鶴之間から見た大広間。儀式・行事などを行うときの対面所として使われていた。若松之間に藩主が、大広間に家臣が座った。梅之間、桜之間、桐之間の順に格式が高くなりそれに連れて天井の造りも豪華になっていく。
【縁側】大広間の南側に配置された縁側は石庭に面し、広縁、落ち縁、濡れ縁の3段で構成され幅は約6mある。すべて檜板を使用し玄関口にあたる60畳の鶴之間、35畳の梅之間、28畳の櫻之間、24畳の桐之間、若松之間が連なる各部屋を繋ぐ。
【若松之間】若松之間(手前)と昭君之間(奥)。若松の間は、桐の間、桜の間とは違い、床・違い棚・付書院が備えられて格式の高さを示している。
【若松之間】若松之間から昭君之間、桐之間方向を見た所。藩内の支城城主との対面はこの2部屋が使われた。昭君之間上段に藩主、上段脇に藩主の世継ぎ、若松之間に支城城主が座した。
【昭君之間】床・違い棚・付書院を備え、障壁画は匈奴に嫁がされた中国の悲劇の美女、王昭君の物語が描かれている。部屋が上段と下段に別れた鉤上段になっている。
【昭君之間の天井】本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋で藩主の居間であり、対面所としても使用された。桃山時代の武家風の書院造の代表的な建築で絢爛豪華。
【数寄屋(茶室)】昭君の間から奥には数奇屋と猿牽の間がある。数奇屋には茶室があるが非公開なので廊下から眺めるだけ。
【団扇之間】昭君之間の後ろには蘇鉄之間、団扇之間が並ぶ。団扇之間は闇り通路の真上にあり地下から登る階段がある。
【団扇之間からみた廊下】桜之間と梅之間の後ろにある家老之間と雪之間を繋ぐ廊下。
【家老之間】家老之間には杉戸絵が飾られていて、襖絵、杉戸絵の説明もある。
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2009年11月17日

熊本 天草 崎津天主堂

【崎津天主堂】熊本県天草下島の穏やかな羊角湾を臨むア津の漁村に建つ教会。キリシタン文化を今に伝えるここの風景は海の天主堂とも呼ばれ、教会が建つ漁港一帯は平成8年日本の渚百選に選ばれた。
【駐車場】崎津天主堂はひなびた漁村の民家が密集する中にある。明治以来3回の建て直しが行われ現在の教会は昭和9年ハルブ神父により改築された。教会内には駐車場はないが周辺に無料駐車場がある。
【尖塔】高さ22mの尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式で、正面側がコンクリート造で後部は木造である。
【教会入口】ロザリオなどの礼拝道具やキリシタンの書物を展示した史料館(無料)も併設している。
【入口から祭壇をみる】天草のキリシタン文化を代表する天主堂内部は教会建築では大変珍しい畳敷きとなっている。
【祭壇から入口をみる】1638年の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って隠れキリシタンとして信仰が守られてきた。
【祭壇】禁教令の時代には、祭壇のある場所では毎年厳しい踏絵が行われていたと伝えられる。
【ステンドグラス】ステンドグラス越しの日の光と照明が堂内を明るく照らす。
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熊本 天草 大江天主堂

【大江天主堂】熊本県天草下島西海岸の天草灘を臨む緑濃い丘の上に建つ教会。丘の天主堂と呼ばれている美しく心洗われるような白亜の天主堂だ。
【尖塔】白い壁と八角形のドームのある方形の鐘塔が特徴的な、ロマネスク様式の空に映える外観が美しい。
【天主堂正面】天主堂は農村の景色の中に溶け込んで佇んでいる。教会の下には天草のキリシタンの遺物を展示した天草ロザリオ館もある。
【エントランス】明治25年に着任したフランス人のガルニエ神父が私財を投じて昭和8年に完成させた新聖堂が現在の大江天主堂である。
【教会入口】大江天主堂の玄関。白い建物にステンドグラスが映える。
【ステンドグラス】礼拝堂内はステンドグラスを通して神秘的な光が射し込んでいる。
【礼拝堂】広く高い天井の聖堂に入ると厳粛な気持ちになる。
【祭壇】ステンドグラスから差し込む光で室内は明るい。神聖だがどこかやさしい空気が漂う。
【ガルニエ神父像】聖堂の横には神父の像が、教会のすぐ下には神父の墓が聖堂を見守るように建っている。
【ルルドの聖母】聖母マリアとその像に祈りを捧げる少女。ルルドは南フランスにある町で聖母マリアの出現と聖なる泉がある場所として知られる。
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熊本 天草 富岡城跡

【富岡城跡】富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島である富岡半島の海抜60mの回りは崖の丘陵上にある平山城。城の南には堀の役割を果たした袋池が、東部には沿岸流によって砂礫が細長く堆積して提状をなす砂嘴に囲まれた巴湾が天然の土塁となって海からの外敵を防ぎ、陸からの攻撃は砂州のみしかない難攻不落の城だ。
【案内図】富岡城は慶長6年(1601)に天草の領主となった肥前唐津藩の寺沢広高によって築かれ、寛永14年(1637)の天草の乱では唐津軍1500人が籠城、天草四郎時貞が率いるキリシタン一揆勢12000人が再三にわたって攻めたてたが落城しなかった。一揆軍はこの後苓北から海を渡り、島原・原城へ向かい島原の乱へとつながった。
【本丸高麗門】平成7年から富岡城跡の発掘・復元が始まり、平成17年に石垣や本丸の櫓が復元された。
【本丸多聞櫓】絵図と発掘調査に基づいて再建されたもので富岡ビジターセンターとなっている。
【二の丸より本丸に登る石段】本丸までの石段は有田焼や瀬戸物などの陶器の原料として使われている天草陶石で作られている。
【二の丸跡広場】二の丸西側の石垣からはすすや油の付着した石垣が発見され、天草の乱の痕跡と考えられている。
【二の丸より本丸を望む】広場には、天草の再興に尽力した天草初代代官鈴木重成、その補佐をした実兄・正三和尚(右)や、天草にゆかりのある勝海舟、江戸の儒学者頼山陽の像(左)が建立されている。
【二の丸石垣跡】石垣は富岡城建設当時と天草の乱の後、その後と三層構造になっている。石垣の石組みは史跡調査に基づいた位置情報を元に一つ一つ忠実に再現されているそうだ。
【本丸より巴湾と砂嘴を望む】巴湾を形成する砂嘴の向こうには野生イルカが群れる通詞島、さらに向こうに天草灘、島原半島を望め素晴しい景観だ。
【二の丸より砂州を望む】富岡市街へと続く砂州と富岡湾や眼下には百間土手によって仕切られた袋池を見下ろすことが出来る。
【富岡ビジターセンター】本丸の櫓は展示施設富岡ビジターセンターとなり、天草の歴史・文化・自然などが紹介されている。中庭からは周辺のさまざまな景色を堪能できる。
【天草の自然】立体映像館(3Dシアター)では天草西海岸のテーブルサンゴをはじめとする多種多様な海中世界を立体映像(飛び出してきます)で擬似散歩できる(無料)。
【天草の歴史】富岡城の歴史や天草の歴史を解説したパネル。
【天草の文化】キリシタン文化や天草の文化を解説したパネル。
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長崎 島原 島鉄フェリー

【島鉄フェリー】島鉄フェリーは有明海の出口にあたる早崎瀬戸を通る、天草鬼池港から島原半島南端の口之津港を結ぶ所要時間30分のフェリー。国道389号の海上区間を担っている。
【鬼池港】脇の事務所で車検証を持ってチケットを購入、料金は普通車2,740円。フェリーくちのつとフェリーあまくさの2隻で口之津・鬼池から両港同一時刻に出港する。最終便が17:45と早いので注意。
【車格納デッキ】1993年就航のフェリーくちのつは494t、定員350名、バス8台または乗用車27台収容。
【フェリーくちのつより鬼池港を望む】海がとっても綺麗だった。
【客室】フェリーくちのつの船内。ラウンジ風の客室ではゆったりした船旅気分が味わえる。
【デッキ】デッキでは、おだやかな有明海を眺めながら過ごせる。周りは漁船がいっぱいだ。
【フェリーあまくさ】口之津港から出航したもう一台のフェリーあまくさ(1982年就航)。361t、定員350名、バス6台または乗用車20台収容とフェリーくちのつよりやや小さい。
【口之津港】フェリーターミナルは、目の前を通る国道251号線の島鉄バスの営業所に近接、2008年4月に廃線となった島原鉄道・口之津駅に代わり各方面への乗り換え拠点ともなっている。
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長崎 島原 島原城

【島原城】島原城は寛永元年(1624)、松倉重政が7年の歳月をかけて築いた連郭式平城。五層の天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城。城郭は南に天守が聳え立つ本丸があり、北隣に二の丸が廊下橋で結ばれ、さらに北側に三の丸があって御殿が置かれた。
【案内図】大手門跡(図右上)から城を望むと、堀から15m上に矢狭間をもつ瓦葺白壁塀と中央に三層の巽の櫓、右に丑寅の櫓、左に西の櫓があり、その上に五層の白色総塗込みの天守閣が35mの高さに聳え立つ。雲仙岳の裾野・森岳に築かれた緑と水と白亜五層の天守がすばらしい。
【駐車場】西の櫓近くの駐車料徴収所から蓮池の堀を渡り城内に入ると売店前に駐車場がある。昭和35年に西の櫓、39年に天守閣が復元された。
【西の櫓】その後47年には巽の櫓を復元して西望記念館を、平成8年には雲仙普賢岳噴火災害を紹介する観光復興記念館が開館した。
【駐車場からみた天守閣】天守は最上重を除いて破風などの装飾がまったくない層塔式。館内は歴史資料館として、収集した史資料をキリシタン史料・郷土資料・民俗資料と各階毎に公開している。
【西の櫓からみた天守閣】築城のための課役、キリシタンの弾圧、過酷な年貢などが要因となり領民の一揆(島原の乱)を引き起こす一因となったという。堅城であった島原城はびくともせず、あきらめた一揆勢は南に下って原城に籠城することとなる。
【長塀】巽の櫓から西の櫓下へ通じる道の両側にある長塀。南城郭(左)と本丸(右)側の白壁の塀には長円と三角の狭間が造られている。
【時計台とお城の鐘】駐車場奥、西の櫓の櫓塀沿いに時計台とお城の鐘がある。左の白建物はトイレ。
【観光復興記念館】資料館1階は120人収容のホールで雲仙普賢岳災害の記録映画を上映、2階の展示ホールでは火砕流のシミュレーション模型や被災現場の遺品などが展示されている。
【丑寅の櫓(民具資料館)】火鉢、糸繰車、アイロン、凧、ラジオ受信機、足踏脱穀機、大八車、土臼、製縄機など、島原の昔の人が使った生活に密着した民具が展示されている。
【巽の櫓(西望記念館)】島原出身の彫刻家で長崎平和祈念像の作者で文化勲章受賞者の北村西望の彫塑芸術の展示館。
【屋外展示】屋外に展示されている北村西望の天草四郎像、織田信長騎馬像などの大作が、散策コースのアプローチに花を添える。
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長崎 島原 雲仙岳災害記念館

【雲仙岳災害記念館】がまだす(島原の方言でがんばるの意)ドームの愛称をもつ全国初の火山体験学習施設。平成2年(1990)11月、約200年ぶりに噴火が始まった雲仙普賢岳の噴火活動から平成8年(1996)5月の噴火活動終息宣言まで何が起き何が残ったのか、大自然の脅威と被災体験を次世代に伝える展示館。
【ロビー】雲仙岳災害記念館は,火山を見る・体験する・学ぶ・遊ぶ・憩うがテーマで、有料展示ゾーンと無料のメディアライブラリーゾーンとで構成されている。有料ゾーンは雲仙噴火の歴史、噴火と予知、予知から防災へ、火山と共生など8つの展示コーナに分類されている。
【エントランス広場】敷地の周囲には溶岩と水によるモニュメントや芝生・花が植えられ、有明海から吹く穏やかな風を感じる広場となっている。
【溶岩の庭】室内展示室から2階展望台へ行く途中にあり、本物の溶岩を配しその周りには半屋外のスロープが設けられている。
【展望台より普賢岳を望む】火砕流の通った道筋に建物が建てられているので、晴れていれば雲仙岳山頂から火砕流がどのように流れてきたかが実際に目で確認することができる。
【展望台より有明海を望む】建物裏手には有明海を望むデッキエリアになっている。晴れていれば対岸には有明海越しに熊本阿蘇山を望むことができる。
【有料ゾーン案内図】平成大噴火シアター、島原大変シアター、火砕流の道などハイテク技術を駆使した体験コーナーや災害に負けず復興に頑張る地元の人々の姿も紹介されている。
【雲仙普賢岳模型】雲仙普賢岳噴火による災害と自然の驚異を肌で感じられるような工夫が各所になされ、火山について体験しつつ学ぶことができる。
【火砕流パネル】噴火の体験以外に、火山のしくみや、防災についても知ることができ、噴火災害、土砂災害に立ち向かった人々の英和を写真による大パノラマとして展示している。
【火砕流の道】火砕流によってなぎ倒された木々を長さ40mに渡って再現。時速100kmで走るといわれる火砕流の速さを走り去る光で体感できる。左がスタート前、右が火砕流が流れた後。あっという間に真っ赤になる。
【平成大噴火シアター】直径14メートルのドーム型スクリーンに、襲ってくる火砕流や土石流を大迫力の映像と音響に合わせて動く床や熱風の吹き出す仕掛けが施され、疑似体験を通し火山災害を感じることができる(上映時間約7分)。
【島原大変シアター】江戸時代に噴火によって眉山が大規模に崩壊し大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた「島原大変」と有明海に達した土砂の衝撃によって発生した高波が島原の対岸の肥後国天草に襲いかかった「肥後迷惑」を昔話風に表現。(上映時間約13分)。
【雲仙大火砕流378秒の遺言】平成3年(1991)6月3日午後4時8分の大火砕流の犠牲となった日本テレビ取材班のTVカメラ。2005年6月に14年振りに北上木場の高台付近で発見された。カメラは火砕流の熱で焼けていたが、復元されたテープには大火砕流直前の記者らの姿や音声が記録されていてNNNドキュメント'05で放映された。
【焼き尽くされた風景の再現】大火砕流は報道関係、消防関係、民間人など43人もの命を奪い、数多くの家屋が焼失あるいは土石流に埋もれた大惨事。当日の午後3時からNHK取材班がこのTVカメラで取材をしていたそうだ。焼け焦げた電柱や電話ボックス、看板などの実物展示が火砕流の恐ろしさを物語っている。
【焼き尽くされた風景の再現】大火砕流を最後まで見つめていたTVカメラの三脚と望遠レンズ。報道関係者が火砕流の撮影ポイントとしていた北上木場町の高台付近で14年振りに発見された。
【ジープの疑似走行体験】災害活動に実際に使用されてた自衛隊のジープでの疑似走行シミュレーションを体験できる。
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2009年11月18日

長崎 長崎 眼鏡橋・中島川石橋群

【中島川】長崎市の中島川に架かる上流から数えて第10橋の石造二連アーチ橋。日本初の石造りアーチ橋といわれ、昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定された。日本三名橋の1つ。
【散策路】眼鏡橋の所在地は長崎市栄町、栄町と古川町をつないでいる。中島川には数多くの眼鏡橋があったが洪水により流失。この橋は下流にある袋橋とともに流失を免れた。
【袋橋からみた眼鏡橋】橋の長さ22m、幅3.65m、川面までの高さ5.46m。水面に写る部分と合わせると眼鏡のように見えることから眼鏡橋という。
【散策路からみた眼鏡橋】袋橋と同じように親柱の擬宝珠を持ち、路面は階段と石畳になっていて優雅な姿を残している。
【袋橋】車も通る石造りの単一アーチはなめらかな弧を描いていて、中島川石橋群中最大の径間を誇っており(17m)、技術的に大変貴重な橋である。
【袋橋と眼鏡橋】上流に有名な眼鏡橋があるため、あまり興味をもつ人はいないような気もする。眼鏡橋を撮影するための石橋といった感じ。
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長崎 長崎 出島和蘭商館跡

【出島マップ】平成8年(1996)出島和蘭商館跡復元整備計画がスタート。平成12年(2000)に西側のヘトル部屋、一番船船頭部屋、一番蔵、二番蔵、料理部屋の5棟の復元がされ、平成18年(2006)にはカピタン部屋、乙名部屋、拝礼筆者蘭人部屋、三番蔵、水門の5棟が完成した。
【中島川からみた出島】出島は寛永13年(1636)ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために徳川幕府が築いた扇形の人工の島。寛永18年(1641)幕府の命令で平戸に置かれていた和蘭商館が出島に移転し、その後218年もの間世界に開かれた唯一の窓としての役割を果たした。出島の面影を残すものは川の右側に見える石積みの護岸。
【水門】西洋と日本の文化・学術・貿易品が最初に出入りした象徴的な建物。2つの通り口のうち南側は輸入用、北側は輸出用に使われていた。現在は出島の西ゲート(正面口、入場料500円)となっている。
【荷揚げ場】荷揚げ場は水門の横にある少し突き出た部分で、船の積荷の揚げ降ろしに便利なようにと後で継ぎ足されたもの。復元された西側護岸石垣をよく見ると石垣の形が異なり、3回にわたって継ぎ足されたことがわかる。
【ヘトル部屋】水門を入るとまず目につくのがこの建物。オランダ商館の商館長次席(ヘトル)の住居で、1階は総合案内所や出島グッズなどを販売する売店、2階は研修室や学習室になっている。
【一番船船頭部屋】ヘトル部屋前にあるオランダ船(一番船)船長や商館員の居宅として使用されていた建物。1階は倉庫として使用された土間を、2階はテーブルやベットなどを展示し当時の居室を再現している。
【天秤量り】土間にはオランダ船が運んできた輸入品の砂糖などを計量する天秤量り(複製)がある。天秤の一端に籠や袋につめられた砂糖を置き、もう一端に分銅を置いて、棹が水平になったときの分銅の総重量で砂糖などの重さを測った。
【オランダ商館員の部屋】2階には一番船船長の部屋やオランダ商館員の部屋がある。船長の部屋には家具や調度品も豪華なものが数多く置かれているが、商館員の部屋は家具や調度品も少なくシンプルだ。
【カピタン部屋】オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きな建物。日本の役人や大名などが出島を訪れたときに、接待の場所としても使われていた。1階は出島の歴史や生活に関する展示、2階は商館長の生活の様子を再現展示している。
【出島の歴史】1階には出島の歴史や生活に関する展示がある。中央には出島の建物の模型も展示され、模型の下は配置が描かれた図面がある。船の模型なども置かれて、見学する前にここで予備知識を得ていくといい。
【大玄関】この建物の大きな特徴は、外から2階の居室部分に直接通じる三角階段が設けられていること。2階大玄関は商館員に向けた各種掲示や短時間の接客の場も兼ねていた。正面奥に玄関の間、右に17.5畳の部屋がみえる。
【玄関の間から居間を望む】玄関の間(31.5畳)から左に居間(21畳)を望む。居間のさらに奥に図書室(21畳)、女中部屋(10.5畳)が続く。また玄関の間右には35畳の大広間がある。
【15畳の部屋】大玄関の左にある15畳の部屋。この部屋は事務室として使われていたそうだ。
【17.5畳の部屋】大玄関右の17.5畳の部屋。なかなか豪華な造りだ。この部屋は商館員たちの食堂として使われていた。
【大広間】カピタン部屋の2階には、商館長の私室のほかに、迎賓館としての機能をもった公的な部屋があった。その中で最も広かった35畳の大広間ではクリスマスを祝ったとされる「阿蘭陀冬至」の祝宴風景を再現している。
【客間・涼所】大広間の奥にある板敷きの30畳の客間と涼所。奥の方のベンチが置いてあるのが涼所。その奥はバルコニーになっていて当時はその向こうに海が見えていたので景色は良かったかも。
【時鐘】カピタン部屋の端、用水池付近に設置されている「メイザン」の名で多くの資料に見られる時鐘。その位置は建て替えのたびに移動したようだ。ひもを引いて鳴らす西洋式の鐘で18世紀のオランダで実際に用いられたものを吊っている。
【ブロンズ製12ポンド砲】この青銅製大砲は昭和29年(1954)浦上河口付近で発見され、カピタン部屋涼所下に設置されている。オランダ東インド会社の社章が刻まれており、アムステルダム所属の船舶に搭載されていたと思われる。
【乙名部屋】日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名が拠点とした建物。出島乙名は出島を築いた出島町人から選ばれた。1階では乙名の仕事を分かりやすく紹介している。
【乙名の詰所】乙名を中心に組頭、乙名附筆者、日行使らが様々な仕事をしていた部屋。貿易の期間中に日中の業務をとり行っている情景を再現している。
【料理部屋】商館員たちは1日2回、カピタン部屋の2階で食事をしていた。その食事を作っていた所が料理部屋。出島へ出入りしていた通詞や役人は珍しい西洋料理をお土産として持ち帰り喜ばれたそうだ。
【調理器具】商館員がクリスマスを祝ったといわれる「阿蘭陀冬至」の宴会料理の調理風景を再現。オランダ鍋に日本製の水甕、中国の壷など色々な国の調理道具が使われていた。
【一番蔵】輸入品である砂糖が収められていた蔵。出島内の倉庫は耐火のため土蔵造り。建物内部では復元工事の過程を紹介。発掘調査で見つかった当時の建物の基礎石も公開している。
【土蔵の壁の模型】1階では土蔵の壁ができるまでを模型を使って紹介しいる。特に目潰しという工程では、市民が寄付した古い蚊帳が使われているそうだ。
【二番蔵(貿易館)】主に輸入品である蘇木(染料)が収められていた蔵。 1階は「貿易と文化の交流」をテーマに出島に出入りしたさまざまな貿易品を紹介している。
【輸入品の変遷】オランダ貿易で長崎に輸入された商品は、生糸、反物、薬種、雑貨に大きく分けられる。初期は生糸が輸入品の中心で、江戸中期以降は砂糖が主力商品になった。
【三番蔵】砂糖の他さまざまな輸入品が収められていた蔵。砂糖は、おもにインドネシアのジャワ島の砂糖園で作られオランダ船で日本に運ばれてきた。
【砂糖袋と滑車】三番蔵では麻袋に入った砂糖を中心に油や酒が入れられた樽や2階への品物の揚げ降ろしに使われていた滑車を再現している。
【礼拝筆者蘭人部屋(蘭学館)】帳簿などの筆記を行うオランダ人の書記の長が住んでいた建物。出島から入ってきた蘭学の学術・技術を紹介している。
【蘭学の応用】医学、天文学、兵学、測量術、航海術など幅広い分野に渡り日本人の職人達はその仕組みを研究、日本でも製作が試みられた。
【新石倉(出島シアター)】慶応元年(1865)に建てられた石倉を再建したもの。
【出島シアター】出島のガイダンスとして「阿蘭陀通詞の出島案内」を上映している。
【新石倉前から水門方向を望む】左にカピタン部屋とその先にあるヘトル部屋、右に礼拝筆者蘭人部屋とその奥の三番蔵がみえる。
【旧石倉(考古館)】新石倉の隣にある石造倉庫。1階は出島から出土した遺物を中心に展示、2階は石垣の修複・復元について紹介している。
【出土した遺物】出島からは海外へ輸出するために作られた国産陶磁器が沢山出土している。高級色絵磁器の柿右衛門様式や、中国磁器を手本に作られた芙蓉手様式などの出土資料から、輸出向け陶磁器の様式の変遷がわかる。
【石垣の修復】発掘調査によって輪郭となる護岸の石垣が発見され、その外側からは垂直に打ち込まれた木杭が見つかった。扇形の輪郭をなす石垣の下には、その土台となる根石を守り補強する工法が用いられていたことがわかる。
【表門】新石倉と旧石倉の間にある木造瓦葺きの表門。平成2年(1990)長崎市制100周年記念に復元された。江戸期、出島の唯一の出入口で探番とよばれる長崎奉行所の役人がここに常駐し出島の出入りを監視した。現在は前に中島川があるのでここからは出入りできない。
【石造日時計】表門横から庭園内に入りキャピタン橋やぶどう棚、シーボルト里帰り植物などを過ぎたところにある石造りの日時計(複製)。商館長カステンスにより出島の花園に設置された。日光の影により、朝6時から夕方6時まではかることができ真ん中の南北を示す線が12時。
【ミニ出島】石造日時計の先にミニ出島がある。昭和51年(1976)に制作された15分の1の模型だ。
【ミニ出島】川原慶賀が1820年ごろの出島を描いたとされる「長崎出島之図」を参考に再現したもの。
【旧長崎内外クラブ】明治36年(1903)長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として建てられた。1階は休憩コーナーや当時のゲームなどができる体験展示室、2階は居留地時代の展示を行っている。
【旧長崎内外クラブから旧石倉を望む】白い旧石倉の建物とキャピタン橋やぶどう棚のある庭園を囲う石壁が続く。旧石倉横には昭和29年(1954)に移築された陶製の門柱がありこちらからも庭園に入れる。
【旧出島神学校】明治11年(1878)に建てられた、現存するわが国最古のキリスト教の神学校。建物内は料金所や売店、企画展示室などがある。
【東ゲート】旧出島神学校の反対側にある出島の東ゲート。水門の西ゲートが表門ならこちらは裏門にあたる。
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長崎 長崎 グラバー園

【案内図】安政5年(1858)横浜、函館とともに開港した長崎には、南山手を中心に沢山の洋館が建ち並んでいた。その遺構を出来る限り保存しようとグラバー園が作られ、園内には数多くの洋館が点在し西洋の雰囲気を醸し出している。
【第1ゲート入口】グラバー園へのアクセスは、市電大浦天主堂下電停から徒歩で行く第1ゲートと石橋電停からグラバースカイロード(5分)に乗り三菱第2ドックハウスに直行する第2ゲートとがある。ここから階段を登り第一ゲートに向かう。
【入場券発売所】第1ゲートから楽にエスカレータで入園できるアクセスがいい。入園料600円
【動く歩道】まずは長い動く歩道に2回乗って園の中で一番高い位置にある三菱第2ドックハウスに向う。
【三菱第2ドックハウス】修理のために船が造船所に入っている間、乗組員たちが宿泊した施設。明治29年に作られた典型的な西洋建物で、上下のベランダを8本の柱が支えている。
【談話室】当時の部屋の様子が再現された談話室。ハウス内には唐人船やポルトガル船などの船の模型や当時使われていた船の計器などが展示され、壁には岩崎弥太郎を中心とした説明のパネルがある。
【ベランダ】ベランダからは今から430年以上前に開港した長崎の港、正面に素晴らしい夜景が楽しめる稲佐山が見える。
【市街地(左)】ここからは長崎港入口や長崎造船所が見渡せる。高台にあるので眺めも素晴らしい。
【市街地(中)】前には池や展望台を配し、その先には湾内部、さらに向こうに稲佐山が望める。
【市街地(右)】こちらからは湾奥部と長崎市中心部全体が見渡せる。
【歴史広場】ドックハウスから階段を下りていくと歴史広場にでる。モザイクが面白い水のある広場といったところだ。道順に沿ってさらに坂道を下ると右手に長崎地方裁判所長官舎、左手にウォーカー邸が見えてくる。
【長崎地方裁判所長官舎】明治16年頃上町に建てられた長崎地方裁判所の官舎。原爆で数多くの建物が失われたが、洋風の官庁建築として唯一残る貴重なもの。1979年(昭和54)にグラバー園に移築。車寄せのある玄関ポーチは和風の破風の木造2階建だ。
【レトロ写真館】建物内はレトロ写真館になっており、30分500円の料金で沢山のレトロ衣装の中からお気に入りの1着を選んで写真撮影できる。またレトロ衣装のまま園内を散策することも可能。
【ウォーカー邸】イギリス人実業家ウォーカーの次男が暮らしたこの家は、明治の中頃大浦天主堂のすぐ隣に建てられた。屋根から突き出した日本風の庇などウォーカーの親日ぶりが伺える。
【円形ベランダ】母屋の一部が市に寄贈され、円形のベランダは1974年(昭和49)にグラバー園に移築される前から港に向かって開かれていたという。
【ベランダ】円形のベランダと繋がった玄関右手のベランダ。庭木の手入れも行き届いている。
【居室】円形窓のある居室には応接セット、ソファーが置かれ、庭の眺めも美しい。
【愛用の品々】ウォーカー愛用のミシン、電気ストーブ、狩猟用具、消化ポンプ、ラジオなどの品々が飾られている。
【プッチーニ像】ウォーカー邸からリンガー邸へ向かう広場には、歌劇蝶々夫人の作曲者プッチーニの像がある。
【三浦環像】その先には三浦環像。ヒロイン・蝶々夫人を何度も演じ、世界的にそのオペラを有名にした歌手だ。
【リンガー邸】三方をベランダで囲まれたバンガローのようなリンガー邸は、明治の初めに建てられたもので重要文化財に指定されている。
【ベランダ】ベランダの床石にはウラジオストックから運んだ御影石、ベランダの屋根を支える角柱には天草の石が使われている。
【玄関】木と石が調和した木骨石造の建築構造はとても珍しい。
【三浦環展示室】建物入って直ぐの部屋は、オペラ蝶々夫人に関する展示がある。
【応接室】重厚さと華麗さを感じさせる室内には、アンティーク家具やオルゴールが置かれている。
【オルト邸】長崎に残る石造りの洋風住宅の中で最も大きいものがオルト邸。
【ベランダ】大浦天主堂、グラバー邸を手がけた小山秀によって施工されたこの華麗な建物は、今から140年近くも前に建てられたもので、重要文化財に指定されている。
【ポーチ】港に向かって突き出た切妻づくりのポーチ、 広いベランダを支える天草石が立ち並ぶ見事な景観、 車寄せの噴水など、当時の職人の技術の高さを感じさせる。
【応接間】床置大時計や鏡付の暖炉、高い窓に長いカーテンなどが時代を感じさせる。
【西側寝室】中は結構広くいくつもの部屋があり、色々な調度品が目を楽しませてくれる。
【スチイル記念学校】明治20年東山手の丘に建てられたミッション系の学校。アメリカの教会伝道局長スチイル博士が18歳で亡くなったわが子を記念するために寄付した資金で創設された。
【展示室】その後長崎市に寄贈され1974年(昭和49)グラバー園に移設された。一階部分には沢山の帆船の模型が飾られている。
【自由亭】プッチーニ像前にある自由亭は江戸時代の終わり頃、日本で初めて西洋料理のレストランとしてオープンした。この建物は検事正官舎として使われていたが、1974年(昭和49)グラバー園に移築復元された。
【グラバー邸】自由亭の下にある1863年に建てられたグラバー邸は、日本で最も古い木造西洋風建築として知られており、国の重要文化財にも指定されている。正面玄関を設けないクローバー型の建築は、南国のバンガローをイメージさせる。
【アーチ】当時は接客用の別邸だったらしくその後しだいに住居として増築を重ね、明治の中頃現在のような姿になった。
【玄関】屋根瓦とアーチ型格子木飾りが柔らかな印象を与え、コロニアル風の開放的な造りを誇る。
【応接室】邸内にはグラバーと妻ツルの写真、犬の彫刻が施された愛用のステッキ等グラバーの遺品が展示されいる。
【食堂】香りの演出がされているという食堂。アイスクリーム製造機やダイニングテーブル、食器が置かれている。
【大食堂】大食堂には文献を参考に製作された150年前の西洋料理が並べられている。
【150年前の西洋料理】鴨の丸煮、鹿の股の丸焼からし酢かけ、豚の塩胡椒摺り込み焼、伊勢海老のスープ、浜焼き鯛など豪華な料理が並ぶ。
【台所】かまどや流し台のある広い台所。シンプルかつ機能的な造りだ。
【グラバー邸模型】長崎総合科学大学建築学科有志が製作・寄贈した1/40縮尺の模型。
【温室】洋蘭などを育てた温室。キリンビールのラベルの元になったこま犬が展示されている。
【出口へ】グラバー邸をでて石畳の坂道を降りると園出口になる。
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長崎 長崎 大浦天主堂

【大浦天主堂】長崎市にあるカトリックの教会堂で、1864(元治1)年創建の日本最古の現存する木造ゴシック様式の教会。正式名は日本二十六聖殉教者天主堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である西坂に向けられている。
【マリア像】教会として日本で唯一国宝建築物に指定されている。「信徒発見」があった教会堂としても有名で、中央入口に配置されるマリア像は、その信徒発見の記念としてフランスから贈られたもの。
【グラバー通り】坂道の両側にはカステラ、蜂蜜、ガラス屋などの土産物屋がびっしりと並び、観光ムードを盛り上げてくれる。
【大浦教会】観光客の増加に伴い、1975年に天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている。
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長崎 長崎 平和祈念像

【平和公園】平和祈念像は、被爆10周年にあたる1955年8月8日に平和公園の北端に建てられた像(北村西望作)。像の高さ9.7m、台座の高さ3.9m、重さは約30tある。
【平和祈念像】天を指す右手は原爆の恐ろしさを、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。
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佐賀 有田 有田焼窯元福丈窯

【福丈窯】有田焼は硬く丈夫で、透明感のある白磁に、藍色や赤・黄・金など鮮やかな色が繊細にほどこされているのが特徴。薄く軽く、ひんやり感のあるガラスのような滑らかさ硬質さが魅力で、耐久性が強く吸収性がないので食器としての使用に最適。
【ギャラリー】福丈窯の作品は、ほとんどが手作り・手描き、絵柄は伝統的な呉須の染付のものが多い。独特の方法で成形された形状は野趣的で、現代感覚にマッチした飽きの来ない染付が魅力。
【工房】400年もの長い歴史のなかで完成された有田焼は、一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島藩窯」の三様式に分けられる。
【作品作り】伝統技術を生かしながらも、手捻りや表面に蚊帳で網目をつけるなど独特の方法で、ユニークな新しい有田焼を生みだしている。
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佐賀 有田 有田陶磁の里プラザ

【有田陶磁の里プラザ】200m余りの中央道路をはさんで25の有田焼の問屋・小売店舗が軒を連ね、日用食器、贈答品、営業用食器、高級美術陶磁器などの陶磁器が販売されている有田焼卸団地。
【有田陶磁の里プラザ】モール内では、個性豊かなあらゆる陶磁器が一度に見学でき、ギャラリーやレストラン、休憩所も完備。近隣には九州陶磁文化館や陶祖李参平の碑、陶山神社などの名所もある。
【賞美堂本店】2号店アウトレットショップ。
【深海三龍堂】業務用有田焼を主に、ギフト有田焼、家庭用有田焼、美術有田焼を取り扱っている。
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2009年11月19日

佐賀 伊万里 鍋島藩窯橋

【秘窯の里大川内山】大川内山は狭い谷間に窯元や藩窯公園があり、レンガ造りの窯元の煙突が立ち並び歴史と伝統を感じさせてくれる。
【鍋島藩窯橋】国道251号の関所跡を過ぎた秘窯の里大川内山の入口、伊万里鍋島焼会館手前にある鍋島藩窯橋が観光客を出迎えてくれる。
【鍋島染付の龍】橋の外側の壁は、上流側に鍋島染付の龍の陶板、下流側に鳳凰の陶板でできている。
【欄干の色鍋島】欄干には色鍋島の壺と焼物づくしの橋だ。
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佐賀 伊万里 伊万里鍋島焼会館

【伊万里鍋島焼会館】伊万里鍋島焼協同組合に加盟する窯元23軒の展示即売所。大川内山の各窯の代表作が展示・販売されている。
【陶板の案内図】伊万里鍋島焼会館前では陶板でできた秘窯の里大川内山の地図を見ることができる。
【ギャラリー入口】観光パンフレットや喫茶コーナーもあり、大川内山の窯元巡りの拠点に最適。ここで気に入った作品の窯元に行ってみるのもいい。
【ギャラリー】展示即売は湯のみ2000円位〜。ギャラリー内には喫茶店も併設されていて伊万里焼の好きなカップで飲めるコーヒー400円。
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佐賀 伊万里 鍋島御庭焼展示館

【鍋島御庭焼展示館】鍋島焼は17世紀から19世紀にかけて佐賀藩(鍋島藩)において藩直営の窯で製造された高級磁器。かつて31人いた鍋島藩の陶工のうち、唯一、鍋島の家紋である杏葉を許された窯。
【鍋島御庭焼説明】17世紀初めから伊万里各地で古唐津系の陶器が焼かれていたが、1675年(延宝3)鍋島藩御用窯を有田南川良から大川内山に移したのが窯元集落の始まり。山間の大川内山に移すことによって色鍋島の技法を守るためだ。
【玄関】かつては佐賀鍋島藩の厳しい管理のもと、関所が置かれ出入りも厳しく管理された。秘窯の里とも呼ばれ、色鍋島や鍋島染付、鍋島青磁などを生みだした。
【ギャラリー】民家造りの展示場には色鍋島の作品が美しい色彩を放っている。三寸皿3万円、五寸皿5万円、七寸皿30万円位〜という。
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佐賀 伊万里 秘窯の里大川内山

【秘窯の里大川内山】大川内山は狭い谷間に窯元や藩窯公園があり、レンガ造りの窯元の煙突が立ち並び歴史と伝統を感じさせてくれる窯元が34軒ほど点在する集落風景を生み出している。
【マップ】万里鍋島焼会館→魯山窯→鍋島藩窯坂→畑萬陶苑→鍋島御庭焼展示館→せいら→虎仙窯→瀬貞陶窯寛右ェ門→青山窯と巡る。広場にはテントが張られて格安な品が並んでいて、店内にもお買い得品のコーナーもある。
【万里鍋島焼会館】観光パンフレットや喫茶コーナーもあり、大川内山の窯元巡りの拠点に最適。ここで気に入った作品の窯元に行ってみるのもいい。
【ギャラリー】展示即売は湯のみ2000円位〜。ギャラリー内には喫茶店も併設されていて伊万里焼の好きなカップで飲めるコーヒー400円。
【魯山窯】魯山窯は、鍋島藩窯の流れを引き継ぎ、廃藩置県で藩窯が廃止された後は民窯として独立し、一貫して色鍋島の伝統技法を守り続けている。
【ギャラリー】絵付けの顔料、手描きによる入念な絵付け、藩窯時代から伝わる上釉を使用するなど伝統技術を活かし一品一品心をこめて作っている。
【鍋島藩窯坂】鍋島藩窯坂は秘窯の里大川内山のメインストリート。奇岩がそそり立つ山に三方を囲まれた静かな谷間に、レンガ造りの煙突や窯元が、石畳の坂道に並んでいる。
【畑萬陶苑】伊万里鍋島焼の伝統を現代に生かす、食器とインテリアの窯元。鍋島藩窯の伝統美や技術を受け継ぎ、新たなる鍋島の創造を心がけ新しい色鍋島の確立を図っている。
【ギャラリー】畑萬の創業時から現代までの作品や鍋島の美術品を中心に展示している。落ち着いた雰囲気の中で鍋島藩窯の歴史を探り、畑満の魅力を発見できる。
【鍋島御庭焼展示館】鍋島焼は17世紀から19世紀にかけて佐賀藩(鍋島藩)において藩直営の窯で製造された高級磁器。かつて31人いた鍋島藩の陶工のうち、唯一、鍋島の家紋である杏葉を許された窯。
【ギャラリー】民家造りの展示場には色鍋島の作品が美しい色彩を放っている。三寸皿3万円、五寸皿5万円、七寸皿30万円位〜という。
【せいらあたりの町並み】鍋島藩窯坂を登りきったあたりの大川内山の町並み。右にせいら(徳永窯)の煙突、正面には鍋島御庭焼展示館がみえる。
【せいら(徳永窯)】庶民的な賑やかさと活気の有田に対して、大川内山は藩窯の里だけあって、落ち着いた静かな雰囲気がある。
【ギャラリー】身近な器に伝統の鍋島を素材で生かし、現代的な色調をアレンジしている。
【虎仙窯】虎仙窯は鍋島焼・伊万里焼の歴史、伝統、技術を守り、手仕事・手描きによる鍋島を造り上げている窯元。
【ギャラリー】作品は品質、機能性、安全性を求め新たなる鍋島の想像を心がけ、使う楽しさを感じられる作品づくりに取り組んでいる。
【工房】ロクロから下絵付け、上絵付けの絵付けまで手作りで制作される伊万里焼・鍋島焼の制作風景をみれる。
【瀬貞陶窯寛右ェ門】歴史の流れを培ってきた濃筆の冴え、手描きの深い味わいが煌めく作品作りを心がけている。
【青山窯の坂あたり】窯場ゆえの素朴さの風景の中に、いかにも官窯らしい華麗・繊細なオブジェを見出すことのできる焼き物のふるさと。上り坂の両側には窯元のショーウインドが並ぶ。
【川副青山窯】青山窯は、独自の技術や代々伝わる絵柄を守りながら、古陶磁器を当時と同様の原材料を用い手作り・手描きで忠実に再現。天然青磁による翡翠の如き作品は定評。
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佐賀 吉野ヶ里 吉野ヶ里歴史公園

【歴史公園センター】弥生時代の大規模な環濠集落跡、吉野ヶ里歴史公園の入口。復元されているのは、環濠、竪穴住居、高床住居、物見櫓、柵、逆茂木、高床式倉庫、墳丘墓などである。出土品の多くは公園内にいくつかある施設内に保管され展示が行われている。その他、多目的ホール、シアタールーム、レストラン、売店などが整備されている。
【環濠集落ゾーンマップ】環濠集落ゾーンには、支配者層が住んでいた南内郭や吉野ヶ里遺跡から発見された貴重な出土品を展示する「展示室」「倉と市」、吉野ヶ里遺跡でもっとも重要で神聖な場所「北内郭」、祭祀や政治的儀礼に使用する道具などが作られていた「中のムラ」など、多くの復元建物があり弥生時代の風景に触れることができる。
【逆茂木】歴史公園センターから天の浮橋を渡り環壕入口に入ると、まず逆茂木(さかもぎ)が目に入る。先を尖らせた杭や、鋭い枝の付いた木を斜めにたくさん立てて、敵の侵入を防ぐバリケードの役割をはたしていた。
【櫓門】南内郭の南には「南の守り」と呼ばれる環壕や土塁、柵があり、そこにある2箇所の出入口のうちの一方には大きな櫓がある。この櫓門の上には兵士が立ち下の門を通る人々を見張っていたという。櫓門からは環濠集落全体を見渡せる。両脇に見えるのは南内郭の物見櫓。
【櫓門より支配者層の家を望む】南内郭には中央の広場を取り囲むようにたくさんの竪穴住居が建てられている。
【櫓門より北内郭を望む】左にに主祭殿、中央に高床住居、その右に物見櫓がそびえているのが見える。
【南内郭マップ】南内郭は支配者層が暮らしながら国の政治を執り行った場所。要所に物見櫓があり、広場を中心に王や支配者層の竪穴住居や煮炊屋、集会の館がある。
【物見櫓】南内郭には4棟の大きな高床建物がある。これらは環壕の張り出した部分に対応するように建てられており、兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていた。
【集会の館・物見櫓を望む】支配者層の家付近から見た南内郭内部。広場の先左に集会の館、右に物見櫓がある。
【王の家】南内郭の北端には王が住んでいた、城柵で囲まれた竪穴住居があり、その脇には王の使用人たちが給仕のために煮炊きをした小屋も復元されている。
【王の家の城柵と壕】王の家の周りには城柵と壕がめぐらされ防御も厳重になっている。
【王の家内部】王と家族が暮らしていた家。王の力を示す品々が枕元に置かれている。
【支配者層の家】周囲を環壕と城柵で囲まれた広場内に点在するこれらの竪穴住居は様々な役割を担う支配者層の住まいと考えられている。
【支配者層の家内部】復元された住居跡には、炉跡やここで寝ていたとも考えられるベッド状遺構などがある。
【集会の館】王の住まいの向かいにある吹き抜けの大きな建物は集会の館。ここでは、南内郭に住む王をはじめ、支配者層が集まり、様々な協議や会合がおこなわれていた。
【煮炊屋】吉野ヶ里遺跡では竪穴住居内の炉から煮炊きをした痕跡が見つかっていません。南内郭では、竪穴住居の脇に小型の掘立柱建物が数棟見つかっており、これが共同で煮炊きを行うための建物であったと考えられている。
【物見櫓展望台】広場西側にある物見櫓には階段があり、最上階まで登れるようになっている。
【物見櫓最上階】最上階は展望台になっていて南内郭を見下ろせる。
【物見櫓より南内郭をみる】広場の周りを支配者層の竪穴住居が囲み、その先には集会の館、さらに遠くに北内郭が見える。
【物見櫓より倉と市を望む】反対側には海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった倉と市が見える
【北内郭マップ】吉野ヶ里の祭りごとを司る最重要区域。田植えや稲刈りの日取り、戦いや狩りの祈りなど重要な事項は全てここで決定された。
【北内郭】南内郭物見櫓からみた北内郭主祭殿。当時北内郭は指導者達だけが出入りできた神聖かつ特別な場所であった。
【二重環壕】最も重要な区域であることを示すように環壕も2重に設けられ、厳しく守っていたことが覗える。また中をのぞくことができないよう、隙間のない板壁で覆われている。
【鍵形に折れ曲がった入口】真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造の造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示している。
【入口から内部を望む】北内郭は主祭殿、東祭殿、斎堂、高床住居などの建物が立ち並ぶ、環濠集落で最も重要な区域である。
【主祭殿】吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物。
【主祭殿2階】吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラムラの長が集まっている。
【主祭殿3階】祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っている。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられる。
【斎堂】東祭殿と主祭殿の間にある高床の建物。主祭殿の祀りの前に身を清めたり、祀りの道具を保管する場所として使われていた。
【高床住居】主祭殿の近くに位置し特殊な形をした閉鎖的な空間の高床の建物から、当時人前に姿を見せない神聖な人である最高司祭者の住まいと考えられている。
【高床倉庫群】床を高くすることで風通しをよくした倉庫。北内郭に接する場所に建てられている。北内郭や北墳丘墓での祀りに使われる道具や宝物などの貴重な品々が収められていたと考えられている。
【北墳丘墓マップ】北墳丘墓は歴代の王の墓であり、西には壕を渡って走る墓道、南には祖霊の宿る立柱と、歴代の王の祖霊へお供えやお祈りを捧げる祀堂がある。
【北墳丘墓】歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられている。この墓は、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっている。中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもあった。
【祀堂】墳丘墓に眠る祖先の霊に、毎日お供え物を捧げ、お祈りをするための施設と考えられている。墳丘墓の北側には大型の素焼きの土器に死者を入れ土の中に埋めた甕棺墓列があり、2000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられている。
【北墳丘墓・立柱・墓道】北墳丘墓の正面にある長い柱を立柱と呼んでいる。祖先の霊が宿る柱と考えられており、シンボル的な役割を果たしていた。左には墳丘墓に眠る祖先の霊にお参りするために環壕の外からやってくる人々のために設けられた専用の道、墓道がみえる。
【電気自動車】園内の移動に利用できる、園内4箇所の停留所を回る無料の周遊バス「電気自動車」が運行されている。定員11名で身体の不自由な方、高齢者の方が優先される。停留所以外の途中乗下車はできない。開園から閉園時間まで30分間隔で運行されている。
【運行ルート】帰りは、北墳丘墓入口発着所から環濠入口発着所まで環濠集落ゾーンの外周を走る電気自動車を利用する。途中、倉と市入口と西口駐車場に近い南のムラ入口の2ヵ所の停留所に止まる。
【倉と市】当時の交易の重要な交通手段の舟が利用できる大きな川がすぐ近くを流れていたこと、この地域全体が大きな壕で厳重に囲まれていることなどから吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられている。
【南のムラ】北内郭や南内郭と違いこの区域を囲むような壕などの特別な施設がない、北が上位で南が下位という古代中国の考え方から南のムラは弥生時代の吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられている。
【天の浮橋】終点の環濠入口発着所で電気自動車を降り、歴史公園センターに向かうと天の浮橋が迎えてくれる。約1時間の見学だったが閉園までの20分をセンター内の展示室、シアタールームで過ごす。
【券売所】入場料大人400円。後ろの売店では公園のマスコットキャラクターグッズや佐賀の特産や名産などを販売している。
【レストラン】吉野ヶ里歴史公園ならではの地元の食材や有機野菜などを使った料理を食せる。ご飯には古代米とも言われる赤米が入っている。
【弥生のクニ】遺跡の発見、出土品などをパネル等で説明する展示室。写真や図を豊富に使った分かりやすい展示だ。
【出土品】センターロビーに展示している土器。吉野ヶ里遺跡ではたくさんの出土品が展示室に年代ごとに展示してある。
【有柄銅剣】有柄銅剣やガラス製管玉等の出土品は国の重要文化財に指定されるなど、高い学術的価値を有する。
【シアタールーム】吉野ヶ里遺跡について約12分の上映が随時行われている。見学に入る前にはぜひ見ておくといい。
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2009年11月20日

福岡 太宰府 太宰府天満宮

【境内案内図】太宰府天満宮は学問の神として知られる菅原道真を祭神として祀る天満宮。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社。
【鳥居】参道商店街を抜け、突当たりを左に曲がるとある石の鳥居は南北朝時代の建立で九州最古の鳥居だ。鳥居をくぐると朱塗りの欄干が目に入る。
【御神牛】境内には神牛の置物がいくつかあり、これは宮司家前にある御神牛。「遺骸を牛車に載せて牛の赴くところにとどめよ」と遺言し停まった所が本殿の地。これが太宰府天満宮の起源という。
【心宇池】漢字の心を形どった池。広い境内は四季を通して梅・樟・花菖蒲などが楽しめ、正月のうそ替え・鬼すべ、春の曲水の宴、秋の神幸式など伝統行事も多い。
【御神橋】心字池に架かる御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、過去・現在・未来の三世一念という仏教思想を残している。
【参道】御神橋を渡り参道を歩くと石燈籠と鳥居が見えてくる。さらに進むと正面に楼門、右手に手水舎がある。
【楼門】堂々たる風格の重層の入母屋造り檜皮葺きの二重門。慶長年間に石田三成が再興したが、明治時代に火災で焼失し現在のものは1914年(大正3)に再建された。
【手水舎】緑色の銅板葺きの屋根に朱塗りの手水舎。手水鉢は一枚岩でわが国では類をみない大きさだ。中央には神亀が刻まれている。
【神苑】楼門を入ると本殿がある神苑と呼ばれる境内になる。本殿は菅公薨去より2年後の905年(延喜5)味酒安行が祠廟を建てたのが始まり。
【本殿】その後、919年(延喜19)左大臣藤原仲平が勅により社殿を造営。現存の物は1591年(天正19)時の筑前国主小早川隆景が再建した。
【本殿正面】檜皮葺きで、正面には唐破風状の向拝がついた桃山時代の豪壮華麗な様式を伝え、国の重要文化財に指定されている。
【授与所】いろいろな種類の御札・御守があるが、一番有名なのは学業成就、入学祈願の御守だろう。
【飛梅】本殿右側にある白梅が「東風ふかば・・」で詠まれた京都から一夜にして飛んできたといわれる有名な飛梅。
【皇后の梅】大正11年に参拝された大正天皇后が植栽された皇后の梅(きさいのうめ)。ほんのりと紅い梅の花だ。
【橘】京都御所紫宸殿では右近の橘・左近の桜だが、ここでは梅が主役なので、橘は授与所前に植えられている。大きさ3cmほどのミカンそっくりの実が成っている。
【本殿より楼門を望む】楼門をでて右に回ると絵馬掛け所・おみくじ結び所と絵馬堂があり、本殿回廊の外側に沿って大きな参道がある。
【絵馬掛け所・おみくじ結び所】境内の何ヵ所かにこの絵馬掛け所が設けられており、かなりの数の絵馬が掛けられていた。
【絵馬堂】入学祈願の絵馬が数多く架けられている。天満宮が学問の神様と呼ばれるだけに、合格祈願の絵馬が圧倒的に多い。
【社務所・余香殿】本殿西横の天神広場と呼ばれる広場にある細長い建物は、1階が社務所、2階が余香殿になっている。
【大樟】社務所の隣には、高さ39m根廻20mの大樟があり、国指定の天然記念物に指定され、樹齢1000年とも1500年ともいわれている。
【楼門廻廊】楼門廻廊に沿って外側の参道を進むと本殿裏側にいける。本殿裏には天神さまと血縁関係にある神さまを祀っている摂社(老松社、御子社)と菅公歴史館がある。
【老松社】本殿裏手にある摂社。祭神は菅公の両親。1294年(永仁2)の天満宮古文書にも記載があり、かなり古くから祀られていたことが覗える。
【御子社】本殿裏手にある6棟の摂社の内、右手に並ぶ4社を御子社という。社殿はともに見世棚造で銅版葺きに白木で造られている。祭神は菅公4人の息子。
【夫婦樟】御子社の後ろに夫婦が寄り添って立っているように見える二本の樟の木「夫婦樟」がそびえている。
【菅公歴史館】本殿裏、崇敬者会館地下1階にある菅公歴史館。菅原道真の生涯を博多人形でジオラマ式に展示。他に奉納された天神人形、玩具、絵馬等の宝物が展示されている。
【菊花展】参道と境内では菊花展が開催されていた。このブースには賞を取った菊花が展示されている。一番手前が農林水産大臣賞。
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福岡 福岡 マリノアシティ福岡

【マリノアシティ福岡】2000年10月にオープンした福岡市西区にある海と一体になった九州最大級の都市型リゾート&エンターティメントシティ。アウトレット店、大型専門店、飲食店、観覧車、アミューズメントなどの施設がある。モール周辺にはホテル・結婚式場・ヨットハーバーなどもある。
【観覧車】高さ60mの観覧車スカイホイール(右)と世界2位の高さ120mのスカイドリーム福岡(左)。2009年9月に隣接するエンターテイメント施設エバーグリーンマリノアがスカイドリーム福岡の営業を終了、現在はマリノアシティ福岡の所有するスカイホイール一基の営業となっている。
【モール】マリノアシティは御殿場プレミアムアウトレットほど大きくないが、外資系ブランドを除いた国内ブランドの人気店が出店している。
【モール内部】ファッションから雑貨などのアウトレットモールを中心にスポーツやカー用品、インテリア、ベビー用品の大型専門店まであらゆる物がそろいブラブラ歩きながらショッピングを楽しめる。
【クリスマスイルミネーション】お菓子の国のクリスマスをテーマにしたイルミネーション。様々な場所にスウィーツをモチーフにしたイルミネーションが準備中だった。
【西福岡マリーナ】疲れたら海辺のテラスで波の音を聞きながら、潮風に吹かれて休憩できる。隣接する西福岡マリーナは、ふくおか・マリノア海の駅にもなっている。
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